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四川大地震 震源地・映秀鎮の人々~その二

2009-05-05 00:39:12     cri    

漁子渓村・蒋永福書記

仮設住宅で喫茶店を経営 
  村民に自助努力を呼びかける

 映秀鎮から町外れにある高台を10分ほど登れば、「漁子渓村」に着きます。
 総人口789人のうち、45人が地震で命が奪われ、家屋の99%が倒壊しました。村人の話では、大地震により、周囲の山は見る見る峰の形が変わり、姿が変わりました。ジャガイモが畑から地面に掘り返され、地面に1メートル70センチほど盛り上がった断層ができたそうです。
 地震後、映秀鎮の中学、高校の生徒約1000人が漁子渓村に上がり、しばらくここに避難していました。村民たちは自分も被災した中、避難して来た生徒や町部の住民に水や食糧を分け合っていました。
 漁子渓村が今も注目されつつあるもう一つの理由は、映秀鎮で犠牲になった2000人余りの遺体がこの村のトウモロコシ畑に葬られているからです。映秀鎮の再建計画では、この村の臨時墓地を、犠牲者を偲ぶ場所に整備していく予定が盛り込まれています。
 全村民がまだ仮設住宅での生活を余儀なくされている中、この4月6日、漁子渓村では、地震後初めての「農家楽」喫茶店(「農家楽」は、普通、寝泊りや食事できる民宿をさす)がオープンしました。経営者は村の書記・蒋永福さん(39歳)と妻です。

 地震前の漁子渓村はどのような村でしたか。

――山紫水明な村でした。もともとの村は山のふもとにあり、村人の人数も少なく、分散して住んでいました。1976年、町の再計画により、村が今の高台に移転してきました。それに伴い、統一した住宅が建てられ、人々が集中して住むようになりました。メイン作物はトウモロコシです。チベット族、チャン族、漢族もいて、人々が睦まじく付き合っているのんびりとした山村です。

大地震が村に与えた被害は?

――地震前、漁子渓村には254戸、789人の住民がいましたが、45人が犠牲になりました。地震後誕生した赤ちゃんを入れ、今の人口は748人です。

断層に近いため、99%の家屋が倒壊しました。免れたのはたった2軒だけでしたが、どれもひびが入っているため、補強して住めるかどうかこれから審査しなければなりません。

今、村人たちの様子は?

――たいへんな災害でしたが、今は、ようやく新しい出発ができる心の準備ができたと言えます。春の耕作も無事済みましたし。

 一番の願いは家の再建と村の復興です。「安居楽業」(落ち着いて生活し、愉快に働く)と言う表現がありますが、先ずは住まいを確保しないとですね。土地利用計画がまだ審査中なので、住宅の再建の目処がまだ立ちません。そのため、人々は安心して出稼ぎに行けず、近くで日雇いをしているのみです。

 しかし、復興というのは、政府の援助を待つのみではないのです。一番必要なのは、自分たちが汗を流して、力を出して頑張ることなのです。村人に自助努力を呼びかけています。とりあえず、今、瓦礫の整理や村の美化、衛生の維持に頑張っています。

4月4日の清明節にまもなくやってくる一周忌。最近、犠牲者墓地に大勢の墓参客が来ているようですね。

――そうですね。私たちの村にも犠牲者がいますので、墓参客と同じく、私たちの気持ちもたいへん悲しいです。しかし、感情をあらわにして、悲しみにふけっているだけではよくないと思います。

 それよりも、墓地周辺で道の誘導係を配備し、墓地を掃除し、墓参客がお墓参りしやすい環境を整えるようにしています。

 これだけ大勢の人が訪れてくるのを見て、私たちも心が慰められた思いで一杯です。中には、ご親族や知り合いの方ももちろんいますが、そうでない人たちも数多くいるのです。各地から、遠路遥々来られた人が数多くいることを見て、何よりの励みです。

漁子渓村には、子どもをなくした親もいるようですが…

――45人の犠牲者のうち、29人が小学校の子どもでした。中には、子を二人も失った親もいます。彼らを重点対象にして、細やかに心のケアをするよう頑張ってきました。村の幹部たちは時々彼らの家を訪ね、少しでも悲しみが緩和できるよう慰めの言葉をかけるようにしています。とりわけ、家族が団らんする祝祭日には必ず尋ねるようにしています。

 子を亡くした親の悲しさは身にしみるものですが、一方では、彼らがいつまで経っても、5月12日午後2時28分の時刻を生き続けてほしくはありません。

 「まずは自分たちから気を持ち直すこと。しっかり生きていくこと。それさえできれば、また子宝にめぐまれるチャンスもあり、新しい生活の希望が持てるようになりますから」と言って、慰めています。

 最近、何よりもほっとしたニュースは、子を失った親のうち、何組か新しい命を授かった報告を聞いたことです。

「農家楽」喫茶店をどのような思いで開いたのですか。

――援助を待つのみではらちがあきません。先ずは自分たちが気を持ち直して、何かやることです。再建が進むのにつれ、村を訪れる人も増えるので、彼らが一服できる場所が必要になります。私の試みに触発を受け、もっと多くの村人が「私も何かをやらなくちゃ」という気持ちになってもらえたらと思って、店を出しました。

 近所の皆さんにも手伝いに入ってもらっています。たいへんな時だからこそ、皆で手を携えあいながら、共に難関を乗り越えることです。こうしたことを口先でばかり言うのでなく、何よりも行動力が求められていますからね。 (写真↑左端は蒋さんの奥さん)

村の復興について、今後の方向は?

――まずは観光資源の開発です。地震は確かに悲しい思い出です。しかし、一方では、発展のチャンスももたらしました。そのチャンスは今しかないものです。

 地震を村づくりに生かすことは、確かに、一部の家に耐えない苦しみをもたらすかもしれません。しかし、何よりも大局に立って発展を図っていくことです。

 映秀鎮は交通の便に恵まれており、こうした地の利を発展に生かすべきと思います。鎮の発展に伴って、訪問客が増えれば、寝泊りできる施設が足りなくなります。「農家楽」が今後の方向性の一つになるといえます。

 また、産業構造の調整も必要です。今後、農業、養殖業、牧畜業を発展させ、独自ブランドの農産物の販売を考えています。そうなれれば、村人の生活の源も確保できるのではと思います。(写真・記事:王小燕)

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