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茶道裏千家 千玄室大宗匠

2009-03-26 21:06:19     cri    

 茶から始めよう 「一衣流水」の中日交流を
北京活動センター茶室「青交庵」にこめた思い



















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 25日、茶道裏千家は北京の「中日青年交流センター」に茶室「青交庵(せいこうあん)」を開設し、記念式典と茶会を行いました。第125回裏千家訪中団を率いて中国入りした第15代家元千玄室大宗匠は、式典と除幕式に参加し、その後の記念茶会で自らの手前で参加者をもてなしました。
 「青交庵」は「両国の青年同士が茶をもって交じり合い、世界平和に貢献してほしい」という願いを込め、第16代家元千宗室が命名したものです。裏千家はこれまでにも、北京外国語大学、北京大学などに茶室を建立しましたが、「青交庵」は今後、北京にある茶室の総称になり、北京活動センター茶室として位置づけられています。
 裏千家は1979年、初めて北京で茶道を紹介し、今、北京だけでも茶道人口が3000人に上っていると見られています。30年にわたる中国との交流にこめた思いについて、記念茶会の後、千玄室大宗匠(写真)にインタビューしました。

■茶道の里帰り 中日の文化交流基地に

記者 裏千家北京センター茶室「青交庵」の開設、おめ でとうございます。

――ありがとうございます。たいへん嬉しく思っております。多くの方々からご支援をいただき、こんなにすばらしい北京のお茶室ができたことを心から感謝いたします。皆さんのお陰です。   時代を担う青年同士が一椀のお茶を持って交流をしていただくということで、第16代家元千宗室が「青交庵」と命名しました。これを機会に、ここが日本と中国の茶道を通じた文化交流の促進に貢献していく基地になるよう期待しています。

記者 これまで長きにわたり、中国との友好交流を進めてこられましたが、交流にどのような気持ちを託していますか。

――古来から、日本は衣食住をすべて中国からいただき、それにより、日本の国が段々成り立ったわけです。茶を飲むことも、1300年前、中国から日本に伝わったもので、それが日本で「茶、道」になったわけです。ルーツは中国でありますから、私はそういう意味において茶道が中国に里帰りしたという風に思っています。

記者 そういう意味で、中国でお茶を披露するのと、世界の他の所でお茶を紹介するのと、気持ち的に違うものもあるということですか。

――いいえ、基本的に違うところはございません。ただ、どの国に行くとしても、お茶を飲むということは、一番はじめは中国から起こったと言います。中国では、お茶を飲むことを「喫茶」と言い、その喫茶が日本に流れてきました。1300年前に、日本でお茶を初めて頂いたという記録が出ていることから、その後、茶道になってきたということを言います。

■ 茶から交わり 平和を求める

記者 海外の人に向かって、「和敬静寂」をどう説明していますか。

――分かりやすく説明すれば、「一碗からピースフルネス」です。一碗のお茶の中にいっぱい平和があるという考えです。「寂」というのは、消えていくことではなくて、お茶を一服いただいて、落ち着いた気持ちになり、忙しい世の中ではありますが、せめてこの茶室の中で、落ち着いた気持ちになるということです。

 「和敬静寂」はまた、人と人の交流そのものでもあります。交流にはきっかけが必要ですが、お茶を点てあって、「お菓子をどうぞ」、「お茶をどうぞ」と言って、お菓子をいただき、お茶をいただく。これには言葉は要りません。ものを言わなくても通じていくんですよ。だから、お茶から交わってもらうというのは大事だと思います。

記者 「茶人」という言葉もあるようですが…

――茶は緑の色、グリーンなんです。グリーンは自然です。グリーンがなかったら、地球はだめですよ。地球は丸いですし、地球の中にグリーンがいっぱいあって、幸せです。そういうお茶の色と一緒になるというのは茶人です。茶人はそういう意味で、「平和の人」なのです。

■ 「一衣流水」の中日交流を

記者 裏千家は中国各地で茶室を作り、茶道人口を増やしてきました。茶道が中国でも大変受け入れられていることをどのように受け止めていますか。

――1978年に、私は人民大会堂で鄧小平閣下と初めてお会いして、お茶を差し上げました。その時に、鄧小平閣下は、「未来の中国のために、若い人たちを何とか立派に育てていきたい。茶道は礼に始まって、礼に終わる。その礼を中国の若い人たちに教えて欲しい」とおっしゃいました。それから、30年ぐらいの年月が流れましたが、その間に茶室ができ、大学生をはじめ、中国の若者に茶道を稽古していただき、大変うれしく思っております。

記者 裏千家はまた、これまで百回以上、訪中団を派遣しましたが、どのような気持ちで送り出すのですか。

――中国はたいへん大きな国で、隅から隅までお茶をしていただくというわけにはいきませんけれども、ある意味では、若い人を中心にして、また年配の方々でも皆がお茶を楽しんでいただける機会を持っていただくために、訪中団を出すわけです。お茶会などの機会をどうぞ一つ皆さんに知っていただいて、自由に参加していただくということがあれば、大変結構だと思います。

記者 中日の青少年交流をとりわけ、重視しているようですが…

――これからの世代は日中、中日の人民交流だけでなく、若い人がもっと交流してほしいです。日本人が中国語をしゃべる、そして、中国人が日本語をしゃべる。これによって、日本と中国が一体となる。一衣流水、揚子江のごとく、長い川になって世界中を流れて欲しいですね。若い人たちは交流して、大きな成果をあげていってもらいたい。世界平和のためにお願いします。

                                    聞き手:王小燕
                            取材協力:胡徳勝 黄恂恂 朱罡
■青交庵開設式典と記念茶会の様子

■裏千家と中国(裏千家ホームページより)

 
 1979年11月、第15代家元が裏千家中日友好親善文化使節として訪中し、鄧小平氏に献茶したのを皮切りに、その後、30年にわたり、訪中団を派遣し続け、これまで、北京、天津、大連にある4大学に茶室を贈呈しました。

 2009年3月22日~26日、中国文化省の招きに応じ、大宗匠千玄室を団長とする第125回日本裏千家訪中団が北京と天津を訪問。

  ■茶道裏千家前家元15代汎叟宗室千玄室
【プロフィール】

1923年 京都に生まれる

1943年 学徒動員により海軍入隊
1945年 特別攻撃隊を志願

1946年 同志社大学卒業 
1964年 
15代裏千家今日庵家元宗室襲名

2002年
 長男に家元継承、玄室に改名

 

【中国とのかかわり(裏千家ホームページより)】

197911月 親善文化使節として中国を初めて訪問、
       当時副総理の
鄧小平氏と対面

19807月 「日中友好文化交流第3回裏千家青年の船」を率いて訪中し、
人民大会堂で日中友好大茶会を開催

1987年            南開大学顧問に就任

1991年            南開大学より博士号授与

19949   裏千家と天津商業大学と共同による日中合弁初の天津商業大学
裏千家茶道短期大学が開校し、学長に就任

19966月  天津市名誉市民、天津市外事弁公室顧問に就任

20016月 「第100回記念茶道裏千家友好訪中団 第9回裏千家青年の船」を率いて訪中し、
江沢民国家主席と中南海で会見。北京人民大会堂で「日中友好大茶会」を開催

20029月 中国との文化交流の功績により「文化交流貢献賞」を受賞

20033月 中国芸術研究院の芸術顧問に就任

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