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ジャンベンギャツオさん チベット族叙事詩『ゲサル王』の研究者 

2009-03-28 17:04:16     cri    

■ 1980年 『ケサル王』の研究者に

 1979年末から始まった改革開放は、ジャンベンギャツオさんの人生に再び大きな変化をもたらしました。

 1980年、中国の学術研究のアカデミー・中国社会科学院は民族文化研究所を新設しました。一般公募で研究員を募集しており、ジャンベンギャツオさんは研究所初のチベット族研究員になりました。彼はその後、チベット語で小説を書いたり、また、ライフワークとして、チベット族の叙事詩『ケサル王』の収集、整理に取り掛かりました。

 『ケサル王』は「古代チベットの百科全書」という誉れがあり、チベット自治区のみならず、新疆、内蒙古などにも広く伝わっており、その長さは『ホメーロスの英雄叙事詩』の100倍もあるとも言われています。

 子ども時代、故郷の巴塘でも流浪する『ケサル王』の語り部の姿を見たり聞いたりしていたジャンベンギャツオさんにとって、叙事詩の整理と発表によって、チベット文化の豊かさを明らかにすることができるところに特別な意義を見出しました。

 ――長い間、チベット文化と言いますと、人々はチベット仏教をイメージしました。確かに、仏教文化はチベット文化の重要な伝統の一部ではありますが、チベット文化には仏教のみならず、一般大衆の作りだした民間文化も含まれています。四方をさすらいながら、ケサル王を語り伝える語り部こそ、チベット民族の創造性と知恵の現れなのです。

 長い間、『ケサル王』は流浪する語り部の口頭伝承に頼り、文字での記録はありませんでした。語り部たちは、食べるものも着るものも保障されず、物乞いよりも見下された地位にありました。民主改革がこうした語り部たちの生活を改善し、彼らの地位を著しく改善したとジャンベンギャツオさんはその変化を喜んでいました。

 ――昔は、語り部たちは頼れるところもなく、さすらい続けていました。物乞いはまだ乞食税を払っていましたが、彼らはそういう税金すら払えない存在だと見下され、地位は非常に低いものでした。そんな彼らは、民主改革によりうって変わって、社会の主人になり、文化の主人公になり、さらに、今では「国宝」として大事にされるようになりました。

 『ケサル王』の整理作業は新中国ができてから始められましたが、とりわけ、改革開放の後、一連の目覚しい成果を成し遂げました。1984年、『ケサル王』の整理と研究のため、チベット、四川、青海、甘粛、新疆、雲南、内蒙古など7つの省・自治区にまたがる研究グループが発足しました。20年あまり経った今、これまで300種類あまりの異なるバージョンの『ケサル王』本を整理し、そのうちの100種類が出版されました。売れ行きは合せて400万冊に上り、「平均すれば、チベット族の人がほぼ一人あたり1冊買っている」という計算になります。チベット語や漢語による研究書の発表、研究者の養成でも著しい成果が見られました。さらに、ケサル王関連のチベット劇やタンカ仏画、チベット舞踊が掘り起こされ、人々の娯楽をも豊富なものにしました。

■『ケサル王』は全人類の宝

 ジャンベンギャツオさんの机の上に、原稿が山積みになっています。定年退職した後も引き続き研究に没頭する彼には、「疲れを感じさせない仕事と目標がある」と言います。

 ――40冊からなる『ケサル王精選本』の編纂を完成させたいです。今はまだ18冊終えたばかりです。たいへんな作業ではありますが、喜んで取り組んでおり、ちっとも疲れを感じません。

 経済と社会の発展は人々の生活スタイルを変え、近代文明は中国の沿岸部に止まることはありません。改革開放により、ハリウッド映画やパソコンゲームがチベット族の居住区にも流入し、影響をもたらしています。

 ――『ケサル王』の語り部が減りつつあるだけでなく、好んで聞こうとする観衆の人数も減りつつあります。ベテランの語り部は年が取り、どんどん亡くなっていきます。最近、新しい語り部も出てきているものの、総人数は20年ほど前の半分程度、100人ほどにまで減りました。

 一方、これまでの収集や整理は文字による作業がメインでしたが、今後、いかに音声資料や映像にして保存するのか、時間との戦いに迫られているようです。

 70年あまりの人生では、幼少時の家族の離散、貧しさ、農奴制の人間性への束縛という辛酸を嘗め尽くし、その後、社会制度の転換などいくつもの巨変を体験しました。

 北京での暮らしは半世紀になるものの、今も家の中ではチベット語で話をし、応接間にはポタラ宮の掛け絨毯とタンカ仏画を飾っている暮らしの中からも、どことなくチベット高原の匂いが漂ってきます。

 「北京はようやく春めいてきましたね。姪の電話では、巴塘では2月頭にもう桃の花が咲き始めたようです。気候の良いところですよ。」

 ラサや巴塘で暮らしている兄弟や姪たちとは良く電話で話しており、故郷のことは一刻たりとも脳裏から離れていないようです。

 40巻の『ケサル王精選本』は、現在は全部チベット語で整理していますが、これから漢語やその他の言語への翻訳作業にもジャンベンギャツオさんは期待を寄せています。

 「『ケサル王』は全人類の宝だからです」。

 今日も、チベット族である誇りを胸に、自分の心のうち、そして、チベット民族の伝統文化と静かに対話を楽しんでいるようです。(王小燕)

【背景】

 1959年3月28日はチベットにとって、新旧社会の分岐点です。分岐点の一方の三大領主(封建政府、貴族、寺院の上層僧侶が構成した農奴主)は人口の5%にも満たないですが、チベットのほぼ全体の耕地、牧場、森林、河川を占有していました。もう一方の百万人に上る農奴は農奴主の私有財産であり、意のままに売買や交換、蹂躙されました。1959年3月28日から、2年間かけて行われた民主改革は政教合一の農奴制度を切り崩し、百万の農奴と奴隷は国の主宰者となりました。2009年1月19日、チベット自治区人民代表大会は毎年のこの日を「チベット百万農奴解放記念日」と定め、人々に民主改革という歴史的事件を銘記させるとともに、いわゆる「チベット問題」の実質をも明示しようとしています。(出自:チャイナネット)


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