すでに先週木曜日のラジオ番組でちょっとお話ししたので一部の方はご存じかと思いますが、4年間勤務した国際放送を3月末で退職することになりました。この「日本人スタッフのつぶやき」も、私は今日が最後になります。2011年の4月からちょうど3年になりますが、ずっとテレビの仕事をしてきてあまり文章を書いたことがないので、毎回何をどう書こうか悩みの連続でした。つたない雑文におつきあいいただきありがとうございます。これからは、日本語部で引き続き仕事をする高橋さん・山下さんの他、近々新しい日本人スタッフも加わる予定です。
記事とは関係ありませんが先日、北朝鮮系のレストランに行きました
4年間という時間も過ぎてしまえばあっという間です。CRIの仕事は、北京の大学で日本語教師をしていた時の同僚に紹介されました。その人は以前、CRIで働いたことがあって、その時、「ハッキリ言って、あまり面白くない仕事ですよ」と言われました。また、出勤・退勤時にタイムレコーダーを押すのも生まれて初めてで(日本ではテレビの番組制作会社で働いていたので勤務時間は自己管理でした)、最初はどうなることかとちょっと心配でした。しかし、周囲の皆さんに助けていただいたこともあって、結果的には楽しく仕事させてもらった4年間でした。
今、私用で帰国していますが、東京市ヶ谷の桜がきれいでした。
ここでの仕事は、私の場合8割が日々のニュースの改稿、その他ニュース以外の翻訳の改稿やラジオ番組の出演、そして動画番組制作の手伝いというところでした。
私は日本では30年、テレビの番組制作会社で主に海外取材番組のディレクター・プロデューサーをしていました。ちょうど大学教師を辞めてフリーだったときに、当時、日本語部長だった傅穎さんがこれから動画番組を充実させていきたいのでと声をかけてくださいました。
それから、2011年の国際放送開局70周年を記念して作った12本のシリーズビデオや、去年から今年にかけて公開した中国で生きる日本人の紹介シリーズなど、日本語部の中国人スタッフと一緒に頑張ってきました。
思い出と言えば、これは以前別のところにも書いたことですが、何かの話の流れで「テレビの番組は作ってきたけど、自分では撮影も編集も出来ない」と言ったら、一緒に番組を作っていた日本語部の若手に「エエッ!じゃあ、大野さんは何が出来るんですか?」と、面と向かってがっかりされたことです。最近はPCで何でも出来るしカメラも小型で使いやすくなったため、ディレクター自身が撮影したり編集したりすることが増えてきましたが、私たちの年代だと割と役割分担がハッキリしていて、私自身は撮影や編集を自分でやったことはほとんどありません。それで改めて自分は一体何が出来るのか?と考えてみましたが、確かに、ディレクターとかプロデューサーの仕事が何かというのは、なかなか難しい質問です。「う~ん」とうなってしまいました。
それでも日本語部の若者たちが一生懸命作るのにちょっとしたアドバイスをしたり、時には私自身がカメラを持って撮影したり(冷や汗ものでしたが)というような形で、一緒にやってきました。具体的に何が出来るというわけではなくても、何十年もの経験で自分の中にいろいろ引き出しがあって、この場合はこうというアドバイスは出来たのではないかと思いますが、何より心優しい日本語部のスタッフはそんなアドバイスをよく聞いてくれました。
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