(中原の「つぶやき」コーナーはここ数ヶ月、その半生を北京で過ごした一日本人のちょっとした物語となっています)
さて、空港と市内をつなぐ高速道路は1993年に竣工したが、1993年6月のこの時点ではまだ走行することができなかった。高速道路の両側にある副道は、記憶の奥でまだ舗装されていない箇所が何区間かあったように思う。
私たちは、真夏の夕暮れに乾いた空気がすっと広がる北京の副道を、ゆらりゆらりとのんびり市内に向かった。
…と言えば聞こえは良いが、今では空港から数十分でたどり着く市内まで、その日は(副道を走ったこともあり)実に2時間ほどの時間がかかった。
それはそれは大変な道のりだった。
副道に入ると私たちは、日本では見たことも無い"ラバ"が荷台を引いて前を走る姿に「うわぁ、すごいねぇ」なんてウキウキしていた。
ところが、その"ラバ"が突然交差点を斜めに疾走する。
「あ、あれ?信号…」もちろん信号は赤だった。
ラバの可愛さに裏切られた瞬間だった。
「ラバ目信号(馬耳東風的な意味として捉えていただくとありがたい)」、そう、ラバの目に信号なんぞ映らないのだ。
あっという間に四方から車や自転車や人が交差点に押し寄せ、ラバを中心に卍固めの出来上がり。
車も自転車も人も、とにかく距離をぎゅうぎゅうに詰める。
日本ではなかなか無い距離感だ。
さて5分が過ぎるが、車はタイヤ1個分ほども前に進まない。
周りを見てみると、多くの人が当然のようにエンジンを切り、その場で車を降りてタバコを一服。
まだ携帯電話も無い時代。
車から降りた人々は、見知らぬ人同士ああだこうだと話を始める。
なんて大らかな人たちだと思った。
結局その交差点1つを越えるのに、40分もの時間を要したのだった。
しかし運転をしてくれていた通訳の鄭さんは、「こんなの日常茶飯事だ」と言った。
(2012年になった北京は、1990年代の自動車保有数50万台前後から10倍の500万台を超えており、当時よりも渋滞の頻度は上がっているが、1993年当時のような「卍固め渋滞」は圧倒的に減っている)
私たちは別に、先を急いでいらいらしたりしたのではない。
ハプニングとしてそれなりに楽しんではいたのだ。
ただこの先、卍固めの交差点を自分で渡らなければならない日が来ることに、ものすごく大きな不安を感じただけだ。
そしてそれは「ハプニング」ではなく、「日常茶飯事」だと言う。
ああ、前途多難。
~つづく~
(この物語はフィクションです。独断と偏見的解釈もあくまでストーリーとしてお楽しみください)
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