今回までは、私の北京感激編です。
北京に来て分かったのですが、北京の街には路地、小路というものがほとんどありません。同時に平屋の民家というのも、特定の一部の地区を除いてほとんど目にしません。かつての人々の住環境は、次々とアパートや高層のマンションに建て替えられ、今、北京の市民のほとんどが集合住宅の暮らしです。
そうしたアパートやマンションは一棟だけではなく、幾つかの集合体として立てられます。たとえば、私の住むマンション群は「遠洋山水」という名前ですが、26階建てのマンションが20以上立ち並んでいます。このマンション群の何ヶ所かの入り口には警備員がいて、高速道路の入り口のような遮断機で車の出入りをチェックしています。マンションの敷地にも、一見警察官のような警備員がいて、駐車場の車の整理やなんだかんだ?をやっています(正直、何をやっているのかよく分からないのです)
こう書くと、なんだか,ピリピリした、いかめしい空間を創造するかもしれませんが、ところがどっこい、実際は全然イメージが違います。マンションの入り口近くで、人の輪ができています。何かと思ったら、中国将棋の対戦中(駒が丸いのが特徴です)取り囲んだ野次馬が「ああでもない、こうでもない*$%@#!」すると、負けている対戦者が「おまえ、うるさいんだよ!」と言ったりしているのが、中国語が分からない私にも伝わってくる、横丁の長屋風情の和気藹々振りです。
昼間はマンションの庭に、乳幼児を連れたお母さんや、おじいさんおばあさんが次々と降りてきて、なにやら、乳幼児コンテストのような、にぎやかさ!ここでも、人々の風通しの良さを感じます。
街で、とても新鮮な驚きを感じたことがありました。夕方、勤め帰りでしょうか?通り過ぎた人から小さな鼻歌が聞こえてきたのです。「今日は何かいいことがあったのかな?」それは、こちらがほのぼのとするような、暮らしの息遣いが伝わってくる鼻歌でした。カラオケでは大いに盛り上がる日本ですが、暮らしの場所や、街中での鼻歌はいつの間にかほとんど聞かれなくなったような気がします。それが新鮮な驚きに結びついたのだと思います。そういえば、日本語部の私の隣の王秀閣さんも、時々とても、美しい声で鼻歌を口ずさんででいます。リュウ、エイリンさんのきれいな声の鼻歌も聞きました。驚いたことに(別に驚かなくてもいいのかもしれませんが)私の後ろの日本人スタッフの吉野さんの鼻歌も一度聞きました。
こうした、いくつかのことを通して私が感じるのは、何か、ほっとするような街の空気です。「昔、どこかで体験したことがあるような‥」そうです、日本の昭和の時代です。『3丁目の夕日』で日本人が懐かしがる「ほのぼのとしたおおらかさ」「家族や友達のつながり」「庶民的な雑踏のにぎやかさ」「屈託のない笑顔や感情の表現」「生きていることの確かな手ごたえ」そうしたものが醸し出す時代の空気が、今この街にはあって、それが私にとってのこの街の居心地のよさにつながっているような気がします。
特にオレンジの夕陽が沈むころ、ゆったりとした歩調で、歩く、家族連れや、子供たちを見ていると、私は日本では感じたことのなかった心のさざ波を覚えるのです。そして、いい意味での「この街の空気」がいつまでも続いてくれるといいなと思うのです。北京の街には「3丁目の夕日」がよく似合う。これが、北京に来て3ヶ月。今のところの、そして今でしかいえないかもしれない私の感想です。
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