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~数字の「七」や「八」を含む四字熟語~

2013-01-07 15:17:52     cri    


























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七上八下

 気が気でない。気持ちが複雑で落ち着かないことを表します。

 何故七上八下で、気持ちが落ち着かないことを表すのかといいますと、人が落ち着かず、緊張したり、心配したりする時に、心臓はバクバクと心拍数が高くなるんですよね。ジェットコースターに乗って、降りる寸前の気持ちを想像してみれば分かると思いますね。

 だから、気持ちや心の状態を形容してよくこの言葉を使います。

七擒七縦(しちきんしちしょう)

 日本語では、二つの動詞の順番を変えて、「七縦七擒」と言いますが、諸葛孔明が南征した時に孟獲を7度捕らえ7度放したという故事から来た言葉です。

 「擒」はつかまえる、捕虜にすること、「縦」は逃がすことです。諸葛孔明は何故孟獲を7回捕まえて、また、7回放したのでしょうか。面倒くさくありませんか?その目的はなんでしょう。

 こんな故事がありますので、ご紹介しましょう。

 三国時代、蜀の丞相諸葛孔明が、軍を率いて出征し、南部少数民族の叛乱を鎮圧しました。しかし、イ族の首領孟獲は屈服せず、いつも蜀の軍隊を攻撃していました。諸葛孔明は孟獲がとても勇敢な人で、信義を重んじ、地元では人望を集めていると聞きましたので、こんな人を配下にしたいと思い、計略をめぐらせ孟獲を捕えました。

 孟獲は今度は自分が処刑されるかと覚悟しました。しかし、諸葛孔明は縄を解き、ご馳走を用意してもてなし、更に、蜀の軍の陣形を見せました。諸葛孔明は「この軍はいかがかな?」と訊ねました。孟獲は意地を張って、「今回は油断して失敗した。あなたたちの陣形を見せてもらったので、私を放してくれるなら、次回は、必ず負かしてやるぞ!」と訴えました。諸葛孔明は笑って、本当に孟獲を釈放し、また戦おうと約束しました。

 その後、孟獲は更に6回も諸葛孔明と対戦しましたが、毎回捕虜になりました。7回目に、諸葛孔明と会った時に、孟獲はようやく心から敬服し、「さすがの丞相には勝てない。悔いはない。今後、2度と叛乱を起こさない」と誓いました。

 少数民族の首領を敬服させるという諸葛孔明のこのようなやり方は良好な効果を収めました。諸葛孔明が死んだ後、長年経っても、蜀の地にある少数民族は叛乱を起こすことがありませんでした。

 「七擒七縦」。三国時代、蜀の諸葛孔明が敵将の孟獲を捕らえては逃がしてやることを7回繰り返した末に、孟獲を心から敬服させた故事でした。

 『三国志』は日本でも根強い人気がある書物ですね。この故事をご存知の方は大勢いらっしゃると思いますが、諸葛孔明のこの計略、一見面倒くさそうに見えますが、実は非常に巧妙なものですね。急がば周れ。

 中国の兵法には、「用兵の道は心を攻めるのを上策、城を攻めるのを下策(げさく)とする」と書いています。つまり、お城を攻めるよりは、敵将の心を捕まえて、それを回心させ、あまり戦わずに自分の配下にするといのが、よっぽどいい計略だということです。

八面玲瓏

 日本語の「八」を含む四字熟語と言いますと、「八方美人」を思い出しますが。。。中国語にも「八方美人」と同じ意味の四字熟語もあります。「八面玲瓏」です。もともとの意味は窓が多いため、どこから見ても透き通っていることを表します。それから転じて、人との付き合い方は融通が効き、だれにでもやさしく接することを表します。

 人を形容するときに、一般的にマイナスな意味で使われます。日本語と全く同じです。ちなみに、「八面玲瓏」の出典と言いますと、マイナスな意味ではなく、いい意味でした。これは元の時代の詩人、馬熙(ばき)の詩「開窓看雨」(窓を開けて雨を見る)から来ています。詩の中では、"八面玲瓏多得月"、部屋の八方から美しい月が見えると詠んでいます。玲瓏とは玉の鳴る音、またそのような美しさという意味です。

 もともとの意味はとても美しいことですが、今は、「八方美人」というマイナスな意味となって、ちょっと残念です。

八斗之才(はっとのさい)

 「八斗之才」。斗とは、中国古代の計量単位の一つです。八斗もの才能を持っている。非常に才能があるということです。

 斗の他に、石と書いて、コクと呼ぶ計量単位もあります。1石=10斗です。

 「八斗の才」の出典と言いますと、南北朝の時代の南朝、宋の有名な詩人、謝霊運にまつわる話です。

 謝霊運は名門貴族の出で、祖父の謝玄が東晋を北方異民族の侵入から救った英雄として名高い人です。謝霊運自身は南北朝時代を代表する詩人です。特に彼が書いた山水詩が有名です。「八斗之才」は、彼は三国時代の魏の曹植を褒めたときに使った言葉です。

 曹植は曹操の息子で、文学の才能が非常に高い人です。謝霊運は曹植の才能をほめて、「天下の詩の才の全体を一石とすると、八斗は曹植、一斗は自分、残りの一斗を他の詩人が受け持っている」と言いました。

 「八斗之才」はこんな故事から来ています。まあ、謝霊運は確かに曹植の才能を非常に評価して尊敬していますが、自分は一斗の才を持っている。しかし、天下の詩人は残りの一斗を分けている。ということを考えますと、謙遜しているような、自慢しているような、どっちか分からなくなってしまいますね。

 その時はまだ南北朝ですので、李白とか杜甫たちがまだ生まれていないですからね。非常に才能のある人にだけ謙遜して、他の人には自慢げな態度をとることこそ、名門子弟の気風なのでしょう。

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