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~数字の「二」を含む四字熟語~

2012-12-03 14:15:44     cri    


























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 前回は「一」を含む四字熟語を3つご紹介しました。「一鼓作気」、「一鳴驚人」と「一葉障目」でした。今日は、「二」を含むものをご紹介します。

一石二鳥

 日本語にも「二」を含む四字熟語もありますね。例えば、一石二鳥。中国語にもあります。"一石二鳥"。同じ漢字を書きます。しかし、ちょっと調べてみたら、この言葉には、由来の故事などがありません。しかも、昔の中国には石で鳥を採る習慣がありません。だから、個人の推測ですが、中国語の"一石二鳥"は、恐らく近代に入ってから、日本語からの逆輸入なのかもしれません。

 実は、「一石二鳥」は日本生まれの言葉ではありません。17世紀のイギリスのことわざ「kill two birds with one stone.」(一つの石で二羽の鳥を殺す)の訳語だそうです。出典は中国ではなくイギリスです。日本語の四字熟語はほとんど中国からのものですが、逆に、中国には日本から輸入したものもあります。これはやはり漢字が中国にとって、分かりやすいからですね。

 中国語には、「一石二鳥」と全く同じ意味の四字熟語もあります。「一箭双雕」(いっせんそうちょう)、或いは、「一挙二得」というのがあります。

 「一箭双雕」、一発の矢で、二羽のワシを射たという意味です。日本語の一石二鳥と同じ意味ですが、もっと颯爽とした感じがします。そして、「一挙二得」、日本語では、一挙両得と言いますね。一つの行為で二つの利益が得られる。「一箭双雕」や一石二鳥の解釈と同じです。

 一箭双雕(いっせんそうちょう)の出典は、中国南北朝時代の北朝について書かれた歴史書、「北史」です。こんな物語があります。

 南北朝時代、北周の国には、長孫晟(ちょうそんせい)という有名な武将がいました。彼は兵法を熟知するだけでなく、馬術や弓が得意です。皇帝は長孫晟が北部の突厥(とっけつ)族(現在のトルコ族)に嫁ぐ姫を護衛するよう派遣しました。突厥の国王セトゥは長孫晟のことをとても気に入り、いつも狩猟に誘いました。

 ある日、セトゥと長孫晟が郊外で狩りをしていると、空には二羽のワシが飛んできました。すると、長孫晟は落ち着いて弓を上げ、スっと一発を射ました。空を舞っていた二羽のワシは同時に落ちてきました。周りの人は思わず喝采しました。

 こんな故事が後に「一箭双雕」という四字熟語にまとめられたのです。「一挙二得」より、イキイキとしていますね。この二つの四字熟語は中国語でよく使われます。「一石二鳥」の訳として、覚えていただければと思います。

不二法門

 仏教から来た四字熟語です。たった一つの最もいい方法という意味を表します。不二というのは、とても難しい仏教の概念です。生と死、善と悪、罪と福、世間と出世間、煩悩と菩提(ぼだい)など、皆相反する概念ですが、それらはもともと二つに分かれたものではなく、一つのものだという考えです。生きると死ぬなどを見極めることができれば、迷いも束縛もなくなる。つまり、不二の法門に入るわけでしょうか。

 仏教の経典によりますと、あわせて8万4000の法門が存在しています。その中で、不二法門は最高の法門です。人間はそれに入ると、生死を超え、成仏できるということです。もちろん、この法門というのは、空間ではなく、思想の門を指しているんです。

 不二法門は、『維摩経』(ゆいまきょう)の重要な思想です。この『維摩経』の内容は中インドの長者、ヴィマラキールティ(維摩詰)にまつわる物語です。こんな物語があります。

 ヴィマラキールティは在宅修行の菩薩です。すべてを捨てたほかの菩薩とは違って、ヴィマラキールティは美しい妻や妾を持つほか、広々とした邸宅や田畑を持ち、地元で有名な金持ちです。彼は誠心誠意、修行をすると同時に、俗世間の活動にも積極的に参加しています。このような出家しているようでしていないようなやり方はとても不思議に思われます。

 ある日、ヴィマラキールティは病気にかかりました。お釈迦様は文殊菩薩などの弟子に見舞いを命じました。菩薩たちはヴィマラキールティと仏法の真理に関する問答を行いました。ヴィマラキールティは最終的に深い仏教思想とすばらしい弁才で菩薩たちの質問に答えました。彼は「家族や財産を持っているが、貪欲になったことがない。形に拘らず、般若、つまり知恵を普段の生活に生かす」と、出家と在宅の不二を論説しました。

 最後に、文殊菩薩は「それじゃ、あなたにとって不二とは何か?」と聞きました。すると、ヴィマラキールティは目をつぶって、何も言いませんでした。文殊菩薩は、「素敵だな!文字もなく、言葉がない。これこそ本当の不二だ」と嘆いたのです。

 「不二法門」、日本語に訳しますと、たった一つの最善法、コツなのではないでしょうか。しかし、コツよりは、「不二法門」という四字熟語のほうは、ずっと奥深いものですよね。

両袖清風

 「両袖清風」。二つの袖に清らかな風。

 中国では昔の服装は袖が太くて長いかったのです。その長い袖にポケットがあって、ものを入れることができます。ですから、賄賂を受ける時に、袖に入れます。

 日本語にも「袖のした」という言葉がありますが、たもとに隠すようにしてそっと渡すもの、賄賂を表します。中国と日本、賄賂のやり方がいっしょなんですね。

 官僚が、両方の袖には清らかな風しかないと言えば、自分が賄賂を贈ったり、賄賂を受け取ったりしたことがない、清廉潔白な人だという自慢になります。「両袖清風」にまつわるこんな故事があります。主人公は明の時代の民族的ヒーローであり、詩人でもある于謙です。

 明の時代、宦官王振は自分の私利私欲を満たすために権力を濫用していました。官僚たちが集まる度に、各地から上京した官僚は彼に媚びるため、金銀や宝石などをよく献上しました。しかし、省長に当たる地方の長官を務める于謙は上京する時に、いつも何の土産も持って来ません。彼の同僚は「金銀を捧げ、媚びたりしなくてもいいから、せめてシイタケやハンカチなど、地元の名産品を持って、気持ちだけ示したほうがいいじゃないか」と、彼にアドバイスしました。しかし、于謙はその両袖には清らかな風しか通らないと言い、他の官僚の不正行為を批判しました。

 「両袖清風」。袖の下を受け取らないことから、官僚が清廉潔白である喩えとなりました。自分を厳しく律し、賄賂を行わない清廉な官僚を表します。

 清廉な政治。これは世界共通の課題ですが、このほど閉幕した中国共産党第18回全国代表大会では、特に幹部の腐敗問題を強調しました。中国のような昔から、義理人情を重ずる社会では、腐敗が大きな問題ですからね。

 中国では昔から、賄賂を贈るために、色々な名目があります。祝祭日のほか誕生日、子供の誕生、親の死亡などはもちろん、夏には「氷敬」と言い、上司が氷を買って、部屋を冷やすために部下が表す敬意、冬には「炭敬」と言い、炭を買って、部屋を暖めるための私の気持ちだという、様々な名目があります。

 いわゆる暗黙の了解ですね。しかも、「氷敬」「炭敬」きれいな言葉を使っていますね。そんな社会環境の中で、于謙のような「両袖清風」の官僚は本当に珍しいです。しかし、同僚のアドバイスのように僅かのお土産も持っていかないなど、全く融通が利かないのは、官僚にとって、果たしていいことでしょうか。

 長所は見方を変えれば、短所にもなりますね。ほどほどがいいんだと思いますけど、どこまでが気持ちで、どこからが賄賂か難しいから、全く贈りものをしないと言うのも潔いような、淋しいような。難しいところです。

 中国の四字熟語には、数字の二を含むものはこの以外にもたくさんあります。例えば、唯一無二という意味の「独一無二」、一二に数えられる、指折りの「数一数二」、まるで別人のようだという意味の言葉、「判若両人」、決心がつかずにためらうこと、優柔不断を表す「三心二意」などです。興味があれば、ぜひ調べてみてください。

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