五穀豊登(ごこくほうとう)
"五穀豊登"。日本語で「五穀豊穣」と言います。中国語は最後の字だけ違います。穣ではなくて、登です。
意味は同じです。穀物が豊かに実ることです。「五穀」は中国で昔から主食とされる穀物です。一般的には、米、麦、粟(あわ)、豆、黍(きび)を言います。
「豊穣」、或いは中国語の"豊登"は、穀物が豊かに実ることです。日本では、「五穀豊穣」は、いつも「家内安全」や「商売繁盛」と同じように、祈願の言葉として使われていますが。中国では、よく「五穀豊登、六畜興旺」と言います。六畜とは、中国では昔から農家でよく飼育される六種類の家畜です。この六種類の家畜とは、牛、馬、羊、ニワトリ、犬、豚を指します。歴史上、長きにわたって、農業が基幹産業だった中国では、「五穀豊登、六畜興旺」は、家業が栄えることを表します。
五十歩笑百歩
中国は日本語より一つ字が多いです。五十歩と百歩の間に、笑うの笑が入っています。これは厳密に言えば、四つの字ではないので、四字熟語とは言えないので、成語と言います。
日本語と比べると、中国語の方が分かりやすいですね。五十歩後退した人が百歩を後退した人をあざ笑うということです。
同様の立場にありながら、相手を嘲笑する愚かさを言います。言葉の出典となるのは、『孟子』です。
中国の戦国時代に、梁の恵王が孟子に尋ねました。「私は、凶作の地にいた民を豊作の地に移住させるなど、常に人民に気を配っているが、何故、他の国の人民が減らず、私の国の人民が増えないのだろうか?」
孟子は答えます。「王は戦争の話が好きですから、戦争の話にたとえましょう。戦場では太鼓が鳴り、両軍は激しく戦っているところです。鎧を捨てて、武器を引きずって逃げるものが現れました。百歩逃げたものもいるし、五十歩逃げたものもいます。もし、五十歩逃げた者が、百歩逃げたものを臆病者だと嘲笑ったら、どう思いますか?」
恵王は「五十歩逃げた者はただ百歩にならなかっただけだ。逃げ出したことには変わりがない」と答えました。
孟子は、「その道理が分かっておられるなら、人民の数が他国より多くなることなど望まないことだ」などと詳しく理由を分析しました。
孟子の分析を要約すると、梁の恵王は自分が常に人民に気を配り、他国の政治よりは賢明だと自慢に思っています。恵王は人民が苦しむのは、凶作のせいだと思い込んでいます。でも、人民が苦しむのは凶作のせいばかりでなく色々な要素が係っています。それらの根本的な原因を見つけられず、人民に利益をもたらす政治を行わないのは、他国の政治と大差がないということを、孟子が言っています。
少しの違いはあっても、本質的には同じであるということ。似たり寄ったりという意味の成語、「五十歩百歩」、"五十歩笑百歩"でした。
六親不認
"六親不認"ですが、字面の意味は、六親を認めない。
中国の歴史には、「六親」に関して、特定の内容があります。その代表的な言い方が三種類あります。『春秋左氏伝』によりますと、親子、兄弟、姉妹、甥と母方の兄弟、妻の親族及び夫の親族だということです。『老子』によると、父子、兄弟、夫婦が六親だということです。そして、『漢書』によりますと、父、母、兄、弟、妻、子を指しているということです。この3種類の言い方がありますが、そのうち、三番目の言い方、つまり、父、母、兄、弟、妻、子という言い方が最も一般的です。つまり、血筋と婚姻関係で最も関係の親しい人たちです。
中国では昔から大家族が集まり棲むというのが非常に重んじられてきました。つまり、直系家族の他に、傍系や親族も同じ土地に一緒に暮らします。一緒に住むことによって、農業生産で助け合ったりすることができるのです。
これは中国社会の特徴の一つといえるでしょう。家族関係を非常に重視しています。ですから、昔から、家族の子弟が出世すれば、"衣錦還郷"ふるさとに錦を飾ると言って、家族全員にとって、大きな名誉になります。もちろん、出世した人は、親族の面倒をみることになります。
今でも中国の農村に行けば、一つの村で、ほとんどの人が同じ苗字というところも多いです。つまり、ほとんどの場合が昔から一つの家族の子孫だということになります。家族、親族のパワーがとても大きいです。
ですから、今日ご紹介する言葉、「六親不認」、親族と縁を切るというのは、絶大な勇気が必要ですね。義理人情がなく、最も関係の親しい家族とも付き合わない孤独でひねくれた性格の人です。転じて、誰にでも同じような態度をとり、情け容赦ないことを表します。
例えば、権力を持つ人が、家族、身内に対しても、赤の他人と同じような態度で対処するということです。これは、家族内は別として、職場ではいいことですよね。
六月飛雪
"六月飛雪"、冤罪という意味です。
もちろん、この六月とは、旧暦の六月を指します。つまり、7月中旬か、8月の初めになりますね。一年中もっとも暑いころですが、何故が雪が降ってきました。
珍しいことは珍しいですが、真夏にたまたま強い寒気団があって、広い中国のこと、こんな気象状況が発生したでしょうか。
科学的に解釈すれば、そうかもしれませんが、中国では、この言葉は、元曲のの名作『竇娥冤(とうがえん)』から出たものです。
そのあらすじをご紹介します。
主人公の竇娥(とうが)は、主人に先立たれ未亡人となり、姑と暮らしていました。竇娥はならずものに言い寄られ、それを拒むと、ならずものは姑を殺害した上、その罪を竇娥にかぶせました。竇娥は死刑を宣告され、処刑前に最期の言葉を残しました。その内容は、もし冤罪であれば、処刑された彼女の血は旗に飛び移り、真夏に雪が降り、楚州に三年間干ばつが続くというものでした。そして、処刑後にこれらの言葉は現実となりました。
その後、この地に竇娥の父が科挙官僚として赴任すると、亡霊になって現れ、竇娥の父に自分の冤罪を晴らすよう懇願しました。その結果、裁判がやり直され、真犯人が処刑されました。
『竇娥冤(とうがえん)』のあらすじでした。雪が降るはずもない真夏に、雪が降ってきたので、尋常でもない冤罪を神様も認めたということです。"六月飛雪"、冤罪を表す四字熟語です。
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