孟母三遷(もうぼさんせん)
孟子の母は、息子孟子の教育のために、三回も住いを引っ越したという故事から来ている四字熟語です。この言葉は幼児の教育には環境がいかに大切かを教えてくれています。
孟子が幼い頃、彼の家は墓地のすぐ近くにありました。そのためいつも、葬式ごっこをして遊んでいました。孟子の母は、「ここはあの子が住むにはふさわしくない」そう考えて引っ越すことにしました。
移り住んだのは市場の近くです。今度は孟子は商人のまねをして商売ごっこをして遊びました。孟子の母は言いました。「ここもあの子が住むのによくないわ」
すると、再び引っ越して、今度は学校の近くに住むことにしました。孟子は、学生がやっている祭礼の儀式や、礼儀作法の真似事をして遊ぶようになりました。
「ここならあの子にぴったりだわ」孟子の母はようやくここに腰を落着けることにしました。
やがて孟子は成長すると、六経を学び、後に儒家を代表する人物となりました。
孟子は今からおよそ2300年前の中国戦国時代の儒学者です。儒教では孔子に次いで重要な人物ですから、儒教は「孔孟の教え」とも呼ばれます。
中国思想の形成に多大な貢献をした重要な人物、孟子ですが、その子供時代を探っていくと、その教育に重要な影響を及ぼしたのが、孟子の母親、孟母だと分かります。
孟子の父親は孟激と言います。才能を持っていましたが、その才能を生かすチャンスに恵まれませんでした。それで、孟激は若い妻と幼い孟子を残して、遠い宋の国に行きました。三年後に、夫の成功を願っていた孟母のもとに、夫が亡くなったという知らせが届きました。夫を亡くしましたが、孟母は落胆せず、女手一つで息子を育てることにしました。孟子の母親は魯の国の高官の家庭に生まれました。非常に豊かな見識を持つすばらしい女性です。なので、孟子の成長には母親が一番大きな影響を及ぼしました。
子供が生まれてから、一番最初に接する環境は家庭環境です。なので、子供の教育にとって、親の行いが大事ですよね。子供は生まれたばかりの時、まるで白い紙のようです。その周りの環境により、だんだんと色に染まって行きます。ですから、親が子供にとって、一番最初の教師とも呼ばれます。そして、子供は歩くようになり、だんだんと家から出て、周りの人と接触することになります。そうすると、周りの環境も子供に影響を及ぼしますね。
孟子のお母さんは、家庭環境はもちろん、自らの行動にも十分、注意を払っていることでしょう。しかし、周りの環境があまり好ましくないのです。小さい頃の孟子はとても賢くて、ついつい周りの環境に影響され、葬儀のこととか、商売など色々なことを覚えてしまいました。
それはまずいと、孟子のお母さんは思いました。ちょっと想像してみれば、孟子のお母さんがもし引越しをしなかったら、孟子は立派な葬儀屋さん、或いは、商人になった可能性が大きいですね。しかし、それは、お母さんが望んだことではありません。
葬儀屋さんや商人が悪いと言う訳では、ありません。ただ、母親の望みと違ったと言うことです。葬儀屋さんにとっては、墓地の近くはいい環境かもしれません。日本でも関東の人と関西の人は気質が違うなどとよく言いますが、中国でも、北方の人と南方の人は性格が違うとも言われます。これも環境による影響ですね。
だから、中国の諺に、「竜には竜が生まれ、鳳凰には鳳凰が生まれ、ねずみの子は生まれつき穴を掘ることができる」というのがあります。つまり、将軍の家にはいつも若い将軍が生まれ、知識人の家には知識人が生まれる。学校教育はもちろん大切ですが、家庭教育や周りの環境の影響も見逃してはいけませんね。
日本なら「蛙の子は、蛙」と言うところでしょうか。どちらにしろ孟子の母親は夫に先立たれましたが、それでも、厳しい環境の中で、息子の教育を怠らず、一生懸命いい環境を作ってあげました。
孟子とそのお母さんにまつわる故事に、もう1つ、孟母断機(もうぼだんき)というのがあります。
孟子のお母さんは機を織ることで生計を立てていました。孟子はある日、学校をサボって家に帰ってきました。お母さんは「まだ授業が終わってないのに、何故帰って来たの?」と聞きましたが、孟子は黙って、何も答えませんでした。孟母はとても怒って、織っていた機の糸を断ち切り、そして、息子にこう言いました。「途中で糸を切ったら、布を織れなくなった。学問も同じだわ。少しずつ積み重ねてこそ、ようやく成功できるものなのよ。」
学問を途中でやめてはいけないと戒めたわけですね。これらの話はとても素朴ですけど、今の私たちにとっても、いろいろ教えてくれますね。
これらは中国人なら誰でも知っていると言っていいほど、有名な話です。昔から、中国では子供の啓蒙読本に、『三字経』というものがあります。その中にも孟子とそのお母さんにまつわるこの2つの故事が書かれています。
以前の番組でも孟子について少し紹介したことがありますが、孟子の重要な思想の一つとして、人間の本性を追究する「性善説」というのがあります。人間は生まれながらにして善であるという思想です。すべての人は生まれた時から、人を哀れむ心、羞恥心、目上を尊重する感情、それに、是非を判断する能力を持っているとしています。生れながらにして善となる可能性をそなえているわけですから、教育を通じて、それらを強化し、仁・義・礼・智の四つの徳を持つことが可能というものです。
性善説にしても、荀子の性悪説にしても、いずれも教育の重要性を強調していますね。正しい教育を受けなければ、善だった人間でも歪みますし、悪だった人間は更に君子になれない。 孟子の思想の裏には、少年時代に受けていた母親の影響がうかがえますね。
三顧茅盧(さんこぼうろ)
日本人でもお馴染みの『三国志』の有名な話、三顧の礼ですが、中国語では、"三顧茅盧"と言います。。"茅盧"とは、草葺きの粗末な住まいです。"三顧茅盧"は劉備が諸葛孔明を迎える際に三度たずねたとする故事に由来する四字熟語です。心から礼儀を尽くして、すぐれた人材を招くことを表します。
当時、三番目の勢力だった劉備は、自分の勢力を拡大するために、優秀な軍師を探していました。ある日、「諸葛孔明という優秀な人物がいる」と進言してきた者がいました。
劉備は、さっそく孔明の住む草葺きのわびしい住まいを訪ねましたが、逢ってもらえませんでした。2度目も、逢うことはかないませんでした。3度目に出向いた時に、孔明は劉備の熱意に打たれ、配下になることにしました。
その後、劉備は孔明の活躍などで地域を平定し、見事、皇帝の座につくことができました。
"三顧茅盧"の故事でした。劉備は謙虚な姿勢で諸葛孔明の一生の忠実を得ました。個人的な才能は目立たない劉備ですが、厚い人望で最終的に天下三分の一席を占めたのです。
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