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「一」を含む四字熟語②

2012-11-26 10:50:26     cri    


























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 前回は漢字の「一」を含む四字熟語を3つご紹介しました。中国語の四字熟語の中で、「一」を含むものがあまりにもたくさんあるので、今日も、前回に引き続き、「一」を含む四字熟語を3つご紹介ます。

  "背水一戦"、"滄海一粟"と"黄粱一夢"の3つです。

 背水一戦

 "背水一戦"の日本語訳は、「背水の陣」となります。意味は、絶体絶命の窮地に置き、決死の覚悟で全力を尽くすことです。背後に大河の控える逃げ道のない死地に陣を敷いたことで、兵士たちに決死の覚悟で奮戦させ、活路を開いたという、漢の大将軍・韓信の故事から由来した言葉です。出典は、司馬遷が書いた「史記・淮陰侯列伝」となります。その主人公は、劉邦配下の大将軍、韓信です。

 韓信は趙王、歇(あつ)の軍隊を侵攻しようとしています。そのためには、井陘口という細い山道を通過しなければなりません。趙王の策士を務める李左車という者は、趙王の大将軍、陳余にこう語りました。

 「井陘口を塞いでおいて、奇襲の兵を派遣し、漢軍の軍需品の車列を分断させてください。そうすると、漢軍は進んで戦うことができず、退却することもできず、供給もなくなる。必ず破れる」と提案しました。

 しかし、大将軍の陳余は兵力の優位性に頼り、そのような不意打ちの奇計を用いず、漢軍と正々堂々と対戦することにしました。

 韓信はこの情報を知り、大いに喜びました。井陘口に着く前に軍を止めて休憩しました。夜中になると、韓信は将兵たちに夜食軽く食べさせ、勝利したあとには、お腹いっぱいご飯を食べさせると約束しました。また、軽装の騎兵2000人を出発させ、趙軍が軍営を離れると、それをすばやく奪い取り、漢軍の旗を挿すよう指示しました。これと同時に、1万人の軍隊を繰り出し、わざと川を背にして陣を張り、趙軍を誘惑しました。

 夜が明けると、韓信は軍を率いて侵攻し始めました。双方の戦いは激戦になりました。しばらくすると、漢軍は負けるふりをし、川辺の軍営に撤退し始めました。それを見ると、興奮した趙軍は全員軍営を離れ、追撃してきました。この時、韓信は「迎撃しろ」と主力部隊に発令しました。韓信の軍は川を背に軍営を構えたので、撤退しても活路がなく、迎撃するしかありませんから、皆決死の覚悟で勇敢に戦うしかありませんでした。趙軍はこんな韓信の軍に勝てず、軍営に戻って立て直そうとしました。しかし、軍営にはすでに漢軍の旗がいっぱい立っています。兵士たちはそれを見て大いに驚き、混乱してあっちこちに逃げようとしました。漢軍はこれを挟み撃ちにし、大きな勝利を収めました。

 これは、"背水一戦"「背水の陣」という四字熟語の由来です。人間は窮地に立つ時、大きな力を発揮できますね。

 そもそも、韓信は川を背にして、軍営を構えたというのは、兵法に反したものです。兵法では、山や丘は右か背にし、川は前か左にして陣を敷くと書いています。漢軍が勝利を得た後、韓信はこう聞かれました。「この度、川を後ろにして勝ったのは何故ですか」と。韓信は、「兵法には、また『これを必ず死地に陥れるとかえって生きるものであり、これを必ず亡びる地に置けばかえって存するものだ』と書いてあるのではないか!」と答えました。

 将校たちはみんな感服しました。兵法を熟知しながらも、臨機応変に対策を講じる。これは将軍だけではなく、私たち普通の人間にとっても、適用できそうですよね。

 滄海一粟

"滄海一粟"(そうかいのいちぞく)。海の中の一粒の粟。広大なものの中のきわめて小さいものという意味で使われます。転じて、宇宙における人間の存在のはかないことのたとえです。 その出典は蘇軾の詩、「前赤壁賦」です。

 蘇軾は、中国の宋の時代の有名な文学者です。もう一人の有名な文学者であり、政治家でもある王安石の変法に反対したため、現在の湖北省にある黄州に左遷されました。黄州では、蘇軾は2本の「赤壁賦」を書き上げました。「前赤壁賦」では、蘇軾は "寄蜉蝣于天地,渺沧海之一粟。"と詠みました。

 蘇軾は三国志のゆかりの地、赤壁・レッドクリフを訪ね、長江を眺めながら色々思ったんでしょう。「今日、私たちは赤壁を訪ねているが、昔、曹操は奇抜なヒーローだった。今、ヒーローはどこにいるのか?私たちは魚や海老、鹿などと一緒に、まるでカゲロウと同じように天地を彷徨い、広々とした海の中の一粒の粟のようだ。長江の水は尽きがないが、我々の一生はどんなに短いものだろう。」と嘆いたでしょうね。

 出世の道で挫折して、左遷させられた蘇軾は物事を少し悲観的に考えるようになったかもしれませんが、まったく間違ってはいないですね。歴史的な視点で考えますと、私たち人間は誰でも広い海の中の小さな粟であると。今、頂点に向けて登りつめたり、周りの人にちやほやされている運のいい人でも、時々自分の居場所を見直して欲しいですね。実は、あなたはそれほど大したものではないと。謙虚であることの大切さも教えてくれますね。

 黄粱一夢

 「黄粱一夢」。字面の意味は、粟のご飯を炊いている間に見た短い夢です。面白い物語が伝わっていますので、ご紹介します。

唐の時代に、盧という貧乏な書生がいました。いつも自分に運が回って来て、財産や地位のすべて手に入れることを夢見ていました。試験を受けるために上京する途中、大雨に遭ったので、旅館に入り、呂翁 という名の道士に合い、意気投合しました。

 盧生は自分の貧乏な暮らしを語りながら、いささか悲しくなっているようです。すると、呂翁は陶磁器の枕を出して、「これを使って寝なさい。あなたの夢を叶えてあげるよ!」と言いました。

 盧生は半信半疑で、枕に頭を乗せて寝ました。そのとき、店主は二人のために粟のご飯を炊こうと、粟の粒を鍋にかけたところです。

 盧生は寝ると、自分はなんだか大きくてきれいな家に入りました。そして、脳裏ではそこが自分の家だと認識しています。数ヵ月後、彼は金持ちの美しい娘と結婚し、ますます多くの財産を持つようになっています。またしばらくすると、 盧生は都に行って科挙試験を受験し、一挙クリアし、かなり高い官職を手に入れました。その後、その官職はどんどん高くなり、宰相まで勤めるようになりました。

 家では、彼は妻以外、数人の妾を持ち、みんなきれいでやさしい女性です。五人の息子が生まれ、大人になると、息子たちは出世しました。嫁さんたちは皆、権力を持つ家柄の出で、十数人の聡明な孫が生まれてきました。

 こんな大成功をし、家族が繁栄する幸せな人生を楽しんだ後、盧生はふと目が覚めました。その時、店主が炊いている粟のご飯はまだ炊きあがっていません。彼はびっくりして、「まさかさっきは僕の夢だったのか?」と聞きました。

 呂翁は笑って、「人生は、はかない夢なのよ!」と語りました。盧生はいろいろ考えましたが、最後に上京して試験を受けることをあきらめ、呂翁と別れて、山に入り、道の修行をしました。

 「黄粱一夢」。粟のご飯はまだできていませんが、美しい夢から目が覚めました。美しいものの実現できない幻想を表します。「黄粱一夢」には、「南柯(なんか)一夢」など似た意味の言葉があります。四字熟語に興味がある方、ぜひ色々調べてみてくださいね。

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