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山奥から出たシェルバ族

2009-09-17 11:40:30     cri    

 風景の美しいヒマラヤ山脈の南麓にシェルバ人(夏尔巴人)が暮らしています。ヒマラヤを登った探検家でなければこのシェルバ人のことをよく知らないでしょう。シェルバ人は何世代も登山ガイドと荷運び(ポーター)を営んできました。しかし、現在、シェルバ人の生活は大きく変化しました。彼らは山奥から出て、地元のチベット族、漢族、ネパールの人々と仲良く付き合い、人々に気前がよく、客好きな印象を与えています。

 中国とネパールの国境地帯に人口500人余りで,260戸人家の村があります。この村は1960年代にできたもので、当初70人しかおらず、帮村と名づけられました。

 シェルバ人という言葉はチベット語で東方からの人という意味です。中国でシェルバ人の人数は3000人近くで、主に、ヒマラヤ山脈のチベット自治区聶拉木県の樟木鎮と定結県の陳塘鎮に居住しています。チベットが解放する前、主に荷運びによって生活を支えていました。人々は縄で荷物を背中に固定して、岸壁を登ったり、山道を走ったりして、足場の悪い道で、転んで怪我をするのはあたりまえで、谷間に落ちて命をなくした人もいました。村の現任副村長の次仁さんの話によれば、解放後、シェルバ人の生計の立て方も変わりました。農作業や狩猟をする者、木材が豊富なので大工もいました。しかし、収入はわずかなものでした。そこで、数ヶ月前に、村はリゾートを経営始めました。毎日の営業額は約4000元、多いときは1万元にも達したということです。記者が村に入ると、素敵な3階建ての建物が目に入りました。これはリゾートの主となる建物です。このリゾートにはプールなどの娯楽施設もあります。

 次仁さんは「リゾートに特色のあるレストランを建て、ここを訪れるお客さんにシェルバ族の料理を食べてもらいたい。そして、客間を拡大して、もっと多くの観光客を泊まれるようしていくつもりです。そうすれば、村の収入も増えます」と話しました。

 リゾートの経営によって、シェルバ人とほかの地区の連携が緊密になりました。また、多くの若者が出稼ぎに行ったりして、視野を広げました。24歳の次仁平措さんの家は牧畜業を主としてやっています。4年前、彼は湖北省武漢中南民族大学に入学し、卒業後、ラサで気に入った仕事を見つけました。次仁平措さんの話によれば、彼のように、村から大都市の大学で勉強している若者がさらに20数人います。ここ数年、村人の生活は大きく変わり、考え方も大きく変りました。若者は父親の世代のように単なる伝統的な農牧業に従事するのを嫌い、山から外の社会に入り込むようになっています。

 平措さんは「兄はチベットのニンジー県で仕事をし、妹は樟木県幼稚園の教師で、弟はコックさんで登山隊のために食事を作っています」と話しました。

 地元のチベット族と漢族の人々は山奥に住んでいるシェルバ人に対する理解が強まり、仲良く付き合っています。シェルバ人はおおらかで情熱的な雪山からのお客さんとなっています。

 ミルク茶はシェルバ人の大好物で、普段もミルク茶でお客さんをもてなします。荷運びのシェルバ人は常に登山隊のために無料で住居と熱いミルク茶を提供します。いま、山から出たシェルバ人も温かな心とおおらかで開放的な態度で他の民族の人々と交流しあっています。(翻訳:トウエンカ)

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