「マカオ歴史市街地区」はマカオの旧市街を中心とした歴史的な市街地区です。この地区は隣接する広場と道路によってつながり、バラ広場(媽閣廟前地)、リラウ広場(亜婆井前地)、聖オーガスティン広場(崗頂前地)、イエズス会紀念広場(耶蘇會紀念廣場)など8箇所の広場と、媽閣廟、港湾局、鄭家屋敷、マカオのシンボル・聖ポール天主堂跡、聖ヨゼフ修道院及び聖堂、聖オーガスティン教会、聖ドミンゴ教会など22の歴史的建築物が含まれています。中国領土内に現存する最も古く、保存状態も極めて良好な中国と西洋の建築物が融合した歴史的市街地区で、2005年7月15日、世界文化遺産に登録されました。
「マカオ歴史市街地区」は400年以上にわたって東西文化が融合かつ共存し、世界でも類のない異文化共生の地として発展してきました。歴史的な建築物が保存されてきただけでなく、中国とポルトガルの両国民が相互の生活様式や価値観を認め合い、ユニークな歴史を築きあげてきました。歴史的建物や広場はその史実も象徴しています。19世紀末にポルトガルの植民地となったマカオは、まるでヨーロッパにいるかのように錯覚させる建物や広場と、中国の伝統的な寺院が交じり合う、とても不思議な空間です。
16世紀半ばから、ポルトガル人航海士たちがマカオで生活を始めました。明王朝はマカオを世界の窓としての役割を認め、やがて東西の国際貿易港として、またヨーロッパの宣教師たちにとっては東アジアへの布教活動の拠点として発展していきます。布教活動のためにやってきたヨーロッパ人が建てた、中国初の西洋医学の病院、孤児院、西洋式大学など、西洋文化をいち早く取り入れ、中国を含む東南アジアにおける『文明の拠点』ともなった土地として評価されました。
貿易の隆盛により、世界各地の人々が集まったため、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカの人々が共に暮らす国際的な都市が誕生しました。ポルトガル人はこの城壁で囲まれた都市を「天主聖名の城」と呼んでいます。建築物・史跡など有形のものに限らず、様式、宗教的な寛容さ、食文化など多くの無形文化が街とともに共存しています。マカオはまさに街全体が歴史・文化の博物館なのです。
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