武当山は「太和山」とも呼ばれ、中国湖北省北部の十堰市に位置します。丹江口ダム面し、背後には神農架森林区を控え、漢代以来の道教の聖地です。海抜1612メートル、72の険しい山々が連なりる霧深い谷は、昔から道士(道教の修行者)たちの修行の場となっていました。1994年世界遺産にも登録されています。漢方薬と拳法の中心地で、中国武術である「武当拳」の発祥地としても知られています。
山中には、33の道教寺院が雄大な自然に溶け込むように点在しています。金殿(きんでん)、紫霄宮(ししょうきゅう)、太和宮(たいわきゅう)などの代表的な建築物が武当山の精粋です。唐の時代から作られた山中の寺は、度重なる戦乱で焼失し、明の永楽帝が、莫大な国費を投入し、建て直されました。ふもとから武当山最高峰の天柱峰の頂上にある金殿までは、細長い青石板が敷かれた神道が続きます。神道の両側には、宮、観、庵、堂、亭、台、橋が散在し、自然を尊ぶ道教思想によって造られた武当山の建造物は、周辺の山や木、水と一体化し、天然の景観となっています。
武当拳が誕生したのは「遇真宮」です。武当拳は養生・修業、防御・保健を目的に、その奥義は「柔をもって剛を制す」、「まず一歩譲って相手を制す」というものです。
「遇真宮」の敷地面積が5万6000平方メートル以上におよび、洪武年間(1368~1398年)の初め、道士・張三豊はここに庵を建てて修行を積み、やがて世に広く知られる武当拳を生み出しました。張三豊は中国武術の師となり、武当拳は中国武術において影響力が非常に大きい流派の一つとなりました。
武当山宮殿の代表的な木造建築は「紫霄殿」です。北宋の宣和年間(1119~1125年)に建造が始まった「紫霄宮」は、明の永楽11年と嘉靖31年(1552年)の再建・増築によって現在の様子になりました。今日の武当山の中で、規模がもっとも大きく、保存状態がもっとも良い建築群です。
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