トキと共に中日を結ぶ
~日本人環境専門家 森康二郎~
かつて、中国、日本、朝鮮半島など、東アジアの広い範囲に生息し、その美しい姿で人々を魅了した鳥・トキ。しかし、二十世紀に入り、乱獲や生態環境の悪化で、各地から次々と姿を消していった。1981年、日本では残っていた5羽の野生トキがついに全部捕獲され、最後の望みをかけた人工飼育の取組みが開始された。その同じ年の5月、中国陝西省で、わずか7羽で生き残っていたトキが発見され、そのニュースは日本の関係者に大きな希望をもたらした。世界のトキを絶滅から救いたい、その一心で中国と日本は手を取り合い、中日のトキ保護協力が始まった。数多くかかわっている中日の専門家に森康二郎さんがいる。
「トキは、人里で農民と共に生きてきた鳥類です。トキを守るには、環境の保全と人の暮らしの両立が不可欠なのですが、それには、地域住民、行政、研究者など、様々な関係者との協力や連携が必要です。自然科学だけでなく、社会、経済、文化を含めた総合的な仕組みが求められているのです。それが、この仕事の面白みだと思っています」
こう語る森康二郎さんは、中日の協力事業が始まった頃から、日本の環境庁の職員としてトキ保護にかかわってきた。そして、退職した今はトキと人が共生できる地域づくりの仕掛け人として日本と中国の間を飛び回っている。人生の節目で、トキと関わり続ける森さん。森さんにとって、トキはいったいどんな存在なのだろうか?
■「日本のトキの第二幕、それは日中の協力から生まれた!」
森さんがトキの保護に関わり始めたのは1989年、佐渡に残されたトキ2羽のうち、雄の「ミドリ」が北京動物園に送られ、北京動物園の「ヤオヤオ」とのペアリングが試みられていた頃だった。当時、日本ではトキが人工飼育から野生に復帰し、再び、佐渡の空を飛ぶことは、全くの夢物語と思われていた。この困難な任務に勇気を与えてくれたのが、中国の研究者らの「中国の空にトキがいる限り、日本の空からトキがいなくなるはずはない!」という励ましの言葉だった。
「振り返ってみると、あの時の予言が、予想以上に早く現実のものになりました。佐渡では、2008に初の放鳥が実施され、今年は初めて野生下での繁殖も実現しました。中国の人たちは私たちよりずっと遠くを見ていたんだな、と今になって気付かされます」
1999年、森さんは日本環境庁野生生物課長として、中国から贈呈されたトキ2羽を受け入れ、佐渡に持ち帰り、日本で初めての人工繁殖に成功した。野生トキの絶滅から27年ぶりに、トキは再び日本の空に戻った。これは、中日の関係者の国境を越えた協力によって生まれた奇跡と言える。
「1999年当時、佐渡には最後のトキ『キン』1羽だけが残され、もう繁殖能力もないと判断されていました。キンが最後の日を迎える前に、何とかトキ復活の道筋をつけたいと関係者のみんなの想いでした。そうした中で、99年1月末、2羽のトキが佐渡トキ保護センターにやってきました。すでにトキは繁殖期に入っていて、トキ到着の興奮が収まる間もなく、次は初のヒナ誕生かとマスコミが注目する大きなプレッシャーの中、職員や中国側研究者らの努力で、5月21日、初の孵化に成功することができました。第一報を受けた時は、報道関係者に囲まれてもみくちゃにされました。『ここから日本のトキの第二幕が始まる』と感じたのです」
■「再び、ゆかりの地、中国へ」
森さんはこれまでの人生の中で、中国と幾度も関わりを持ってきた。日本と違う中国の風景に触れた青春時代。中国に学んだ現役時代。そして定年退職した今、JICA・日本国際協力機構の専門家として、これまでの日本のトキ保護への支援に、少しでも恩返しができたらと考えている。
森さんと中国との縁は1971年(昭和46年)に遡る。学生友好訪中団の一員として、香港経由で初めて中国を訪れたのだ。中国に来た最初の日の印象、まるで昨日のようなことだった。
「深セン側には小さな駅舎があって、そこで入国手続きをしました。運河の両岸に緑の樹林が茂り、背後には水牛のいるのどかな農村風景が広がっていたのを憶えています」
そして93年、日本政府在外研究員として、トキの保護など中国の自然保護を研究するため森さんは単身西安に乗り込んだ。言葉もできず、どうやって受け入れ先の大学までいけばよいのか途方にくれた時、機内で隣席だったビジネスマンが親切に大学の寄宿舎まで車で送ってくれた。
「路上で見た風景は、車と馬車と自転車が交じり合い、土色の低い家並みが続いていて、北京とは全然違う世界に来たという感じがしました」
わずか6ヶ月の滞在だったが、大学の恩師やトキ保護関係者など多くの人々との交流は忘れられない思い出となった。その人と人のつながりが、思いがけず復活する。日本でトキの第2幕が始まって11年たった、2010年。森さんはJICAの専門家として中国西安市に派遣された。中日共同のプロジェクト、「人とトキが共生できる地域環境づくりプロジェクト」に参加し、西安に住みながら、月に2~3回プロジェクト実施地区の陝西省洋県、寧陝県や河南省の羅山県へ出張し、トキを通しての自然保護のモデル作りに取り組んでいるのだ。
「トキの保護を見ても分かるように、これからの自然保護・生物多様性保全は、人も生きものも共に豊かになれる道を探っていくことが求められていると思います。今回、こちらで仕事をして、国情は違っていてもアプローチは同じだと感じました。日本では、いま、農山村の過疎高齢化と共に、山林や農地が利用されなくなり、人と共に生きてきた身近な動植物の衰退が問題になっています。まだ中国では、日本のような問題は顕在化していませんが、将来的にはこういう問題も出現するのではないかと思っています。中国では、トキがいる秦嶺山脈だけでなく、雲南省の棚田など、人と生き物が共存する美しい里山の景観が各地に残っています。日本の経験も共有しつつ、人と自然が共生するアジアの風土に合った自然保護のモデルを日中両国で共同で作っていくことができれば、世界の生物多様性保護への大きな貢献になると思います」
■「17年ぶりの中国生活、浦島太郎の心境でした」
17年ぶりの中国暮らし。森さんは奥様と二人でアパートを借りて、西安市民と同じ生活を体験している。昼食は事務所付近の小さなお店で麺食をよく食べ、夕食は家で日本食。また、飲みながら奥様とテレビの連続ドラマを見るのが大きな楽しみだという。
「インターネットやスマホなど、ライフスタイルが日本と変わらなくなっています。自転車がほとんど絶滅し、マイホームの購入が市民の最大関心事になっているようです。荒山が少なくなり、山の色が緑に変わってきて、嬉しかったです。西安に着いた時、市内に入ると、あちこちで高層マンションの工事現場が目に入りました。昔住んでいたところを走っても、見覚えのある街並みは消えてしまっていて、浦島太郎のような心境でした」
今の中国を肌で感じながら、毎日を堪能している森さん、中国の発展と変化に、大きな驚きを覚え、異国でのカルチャーショックにも遭遇した。
「バスに乗ると、若い人がすぐに席を譲ってくれたことや(日本では席を譲られたことは一度もなかった)、学校の下校時に、大勢の親が校門の前で待っていることにも驚きました。日本だと、病気以外に親が迎えに行くことはないでしょう(笑)。日本でも中国でも、情報の中心はインターネットになりましたが、一番大事なのは、やはり生身の人間関係だと実感しました」
中国と日本の空を飛びまわるトキのように、森さんをはじめとする多くの方が中日間の友好の使者として、国境を超えた友好と協力、そして、地球、自然への愛を世界に向けて強く発信している。(9月6日オンエア「イキイキ中国」より)
・森 康二郎 (もり・こうじろう)
環境専門家、人とトキが共生できる地域環境づくりの研究者。
1951年2月、福岡県北九州市生まれ。1974年3月、京都大学農学部林学科卒業。同年4月、日本環境庁に技術系職員として採用。2004年6月に退官。30年の在職中は主に自然保護分野を担当。2004年から2010年までは財団法人国立公園協会研究センター長として環境調査業務に従事。2010年9月、JICA専門家として、日中合作「人とトキが共生できる地域環境づくりプロジェクト」に派遣。
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