中国の東南部に位置する無錫は昔から美しく、豊かな都市で知られています。 無錫は北に長江が流れ、南に太湖に臨み、西は南京に接し、東は上海に隣接しています。 四季がはっきりしていて、物産豊富で中国では、「米と魚の故郷」と謳われています。
また、無錫は美しい太湖の一角に位置し、「太湖の真珠」と呼ばれています。2500年前の春秋戦国時代、越国の大臣・范蠡は敵国の呉を負かし、絶世の美女、西施を連れて太湖を隠居し、中国史上の初の魚の養殖関連の専門書<養魚経>を完成しました。その後、范蠡を記念するため、太湖の無錫の部分が地元の人々に蠡湖と呼ばれてきます。
長い間にわたる整備によって、今の蠡湖の36キロの沿岸地区は無錫の最大規模なオープン公園となり、今日のこの時間は蠡湖の変容についてお伝えしましょう。
無錫の呉橋に住む年配の杜さんは毎朝、バスに乗って蠡湖の畔・渤公島に行き、渤公島を半日間で遊んでいます。蠡湖の新鮮な空気と美しい景色を楽しみながら杜さんは
「僕、毎朝6時にここに来て、ここは景色がとてもいいなので、朝の運動のいい場所だと思う」と述べました。
毎日、杜さんのように蠡湖の美しい景色を楽しむ人はますます多くなってきます。休日になりますと、蠡湖の畔のあちこちに観光客の姿が見えます。
蠡湖の変容について、無錫の年配の人達ははっきり覚えています。1960年代の末、「湖を埋めて水田を作る」という政府計画の下で、蠡湖の面積が大いに縮め、環境汚染も非常に悪化しました。
2001年、無錫政府はエコ都市づくりの目標を提出し、無錫市都市計画局の翁林敏局長は 「この計画に基づき、無錫の美しい山と湖をうまく保全し、新しいエコ都市を作ります」と説明しました。
無錫の史上最大の都市建設プロジェクトとし、蠡湖の建設は無錫の都市発展と未来に重要な影響を及ぼします。このプロジェクトではアメリカの有名な会社が都市発展設計案を制定し、プロジェクトの投資総額が100億元に達し、数年間にわたって実施するものです。
2002年、蠡湖地区エコ環境プロジェクトが正式に起動し、48の会社や8万平方メートルの家屋それに130ヘクタールの養殖業区が蠡湖から退出し始めました。その代わりに、睡蓮、カンナなど30万本の水生植物が栽培されてきます。蠡湖は著しい変容が遂げました。
この変容の中で人間と自然は調和が取れています。今、蠡湖が無錫のエコ都市作りのいい表現となりました。
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