イギリスを訪問中のチベット学学者代表団は24日ロンドンのウエストミンスター大学で、イギリスの学者や海外在住のチベット族の代表と座談会を開きました。この中で、代表らは、チベットの民主改革や中国中央政府とチベット地方政府の関係などについて話し合いました。中国の学者は「チベットは中国の一部である。これは、歴史的事実であり、客観的存在でもある」と強調しました。
中国学者代表団の責任者でもある中国チベット学学者研究センターの張雲研究員はその挨拶で「50年前の1959年3月から、チベットでは社会制度をめぐる画期的な変革が起こっていた。政治と宗教の一体化を中心とした封建農奴制度が民主主社会へと転換し、最終的には社会主義社会になる変革であった。当時114万の人口を有するチベットでは、下層階級の人がほとんどであった。これらの人々は農奴と呼ばれていた。解放運動により、農奴は自由を手に入れ、平等な権利を享受できるようになった。この変革は、チベット社会にとって非常に大きな出来事であり、これにより、この50年の間、チベットは、経済、社会、文化、生活の面で目を見張るほどの変化を遂げた」とチベット民主改革の様子を紹介しました。
また、張雲研究員は、チベット民主改革と西側諸国が主張する民主とを比較し、「民主とは、相対性のあるものであるため、国や発展段階によって特徴も異なる。1959年の民主改革は、身の自由も財産もなく自身の労働の成果を享受できない人々を農奴の地位から解放し、平等なチャンス、政治上の民主と経済上の権利を与えるのが目的であった」と語りました。
代表団のチベット族の学者である、中国社会科学院民族学と人類学研究所の扎洛(ザーロ)所長補佐は、中国の少数民族地区の言語保護政策を紹介した際、「20世紀の中国にあるたくさんの政治制度や法律は、大体西側から学んだものだ。しかしながら、民族に関連する政策は我々が良かったと思う。我々は、少数民族に他民族の言語を学ぶことを強制していなかった。それで、今のように、チベットでチベット語の学校がまだ存在している。これは、20世紀の7,80年代からの新たな民族多元化主義に符合している」と述べました。
また、扎洛所長補佐は、「私はこれまで、牧畜民の発展問題を研究している。しかしながら、草原の退化によりもたらされた経済リスク、雪の災難でもたらされた経済損失などにの参考資料が少ないことを感じた。それはなぜか?たくさんの研究者は政治にばかり気をとられ、まじめにチベット研究をしていない。チベット学界にとって残念なことだ」と述べました。
イギリスの学者と海外チベット人200人余りが座談会に参加し、約2時間の会議で、チベット問題について激しく討論しました。(翻訳:コオリ・ミン 万 チェック:吉田)
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