無錫の百年の梅園を尋ねる
梅の花は、無錫市のシンボルです。無錫と梅の花との縁はいつごろ結ばれたのでしょうか。この話をするなら梅園の初代の所有者、中国民族商工業の先駆者、栄徳生から始めなければなりません。20世紀の初頭、栄徳生は太湖の周辺の土地を買い上げ、梅の花をテーマとする園林を作りました。中国造園史において、ここに始めて花の名前が命名された庭園が誕生したのです。
その後、長い時を刻み、梅園は今年の2月18日にめでたく100周年を迎えました。今の梅園は20世紀初頭に造られたばかりの園林と比べると大きく変わりました。2月18日、梅園の初代所有者栄徳生の孫、栄智健氏が一族の人々を率いて、梅園を尋ねました。今の梅園を一周し、「祖父がこの梅園を作った目的は、市民と一緒に梅の花を楽しむためでした。梅園を交流と憩いの場にしたのです。収集した文物を梅園の敷地に置いたり、貴重な品種の花や草などをここに植え、市民の皆さんに見てもらいました」と感想を語りました。
梅園が作られてから、20数年間かけて各種の梅の木が数千本植えられました。また、建物や東屋、別荘、お寺なども建てられました。そして少しずつ手を加えていった梅園は、蘇州の鄧尉、杭州の孤山とともに、江南地域の梅の3大名所にまでなりました。栄氏一族と無錫の著名人はよくこの梅園に友人を招き接待します。しかし栄徳生と同様に現在も梅園は一般開放され、国内各地の人々が訪れて、梅の花を楽しみます。これについて、栄智健氏は「梅園の建物には一枚の額がかけられています。この額には『一生、頭を下げて梅の花を拝む』と書かれています。そして一つの石碑があります。そこには、『善を持って世界に貢献する』と刻まれています。これが祖父の一生の座右の銘でした」と話してくれました。
新中国の成立後、現地政府も梅園の改修作業に加わりました。1955年、栄毅仁は父の遺言に従って梅園を現地政府に寄贈しました。1960年代以降、梅園は3回の改築を経て面積は最初の5.5ヘクタールから現在の100ヘクタールへと拡張されました。また、中日梅鑑賞園、熱帯植物博覧館などの新しいエリアも設けられました。同時に、梅園の古い部分も整備・修復されました……(任春生)
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