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3月16日 中国の旅

2012-03-16 17:12:21     cri    

四川省からチベットまでの茶馬古道を尋ねる






















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 唐代から1950年代まで、四川省のお茶は、省西部の雅安市から、天全、二郎山、瀘定、康定を経てチベットに運ばれました。この道は四川省からチベットを結ぶ茶馬古道と呼ばれています。これと並行して、雲南省のプーアル市からチベットまでを結ぶ茶馬古道もあります。この2本の道はともに「世界で海抜が最も高い中国古代文明伝播の道」と呼ばれています。

 これまでの1300年、人間の足と馬の足が山間地帯を幾度となく踏み、この道を作りました。この道は、今も山の緑に隠れています。今日の番組ではこのお茶の香り、馬のひずめの音を思い浮かべながら古代の道と道にまつわる物語をご紹介します。

 四川省からチベットまでの茶馬古道は唐代に形成されました。四川省の雅安からチベットのラサまでで、それがさらに西に延びて、ネパールやインド、そして西アジア諸国、西アフリカに繋がっています。長さおよそ4000キロ、1300年あまりの歴史があります。この古代の道によって、道沿いのすべての民族が結びつけられました。この意味でこれは貿易の道であり、文化を広める交流の道でもあります。

 チベットの高原では「一日のご飯よりも、お茶がなくてはならない」という言い方があります。チベットの人々は独特な飲食習慣があり、茶葉とバターを一緒に煮込んだものを飲みます。これによって油を摂取して、体のエネルギーとするのです。しかし、寒い高原地帯では茶葉を栽培することができません。一方茶葉生産地では、チベットの馬が必要となっていました。このため、茶葉と馬を売買する市が現れました。時代の変化とともに、市はますます盛んになり、馬子が多く増え、茶馬古道も栄えていきました。

 四川省からチベットまでのこの道は、昔からほとんど整備されたことがなく、荷物を運ぶのは非常に困難でした。特に天全から康定までの道は馬でも前に進めませんでした。ここでは人間が茶葉を背負って運びます。かれらは荷揚げ人夫と呼ばれていました。

 今お聞きいただいているのは四川省の天全という地域でしか聞けない民謡です。この民謡は茶葉を背負って、精一杯運ぶ人々の歌です。彼らはこの歌を歌いながら茶葉などの荷物を背負って一歩一歩足を進めました。茶葉と馬を売買する市が現れてから、この道沿いの村人は荷物を運ぶ仕事をし始めました。梱包された茶葉は1個16キロ、普通、荷揚げ人夫は1回に10個か12個運びます。その他、草で編んだ靴と食料なども持っていきます。毎日急いでも3キロか4キロしか歩けませんでした。彼らは大抵50メールごとにちょっとだけ休んでまた歩きます。目的地までは数ヶ月かかったそうです。

 当時、荷揚げ人夫は目的地まで荷物を運んで、そこで給料と米をもらいました。途中、地域ごとの検問所で税金を納め、旅館に泊まって宿泊料も払いますから、稼ぐのはなかなか難しかったそうです。今年84歳の李攀林さんは、かつて荷揚げ人夫をしていました。当時の様子について次のように話してくれました。

 「大抵道端で寝るんです。地面に草で編んだ敷物を敷いて寝ます。丸太を切り開いてこれを枕にするんです。布団も雨や汗で湿り、ぼろぼろとなったりしました。その時の生活は今では考えられないほど貧しかったです」……(任春生)

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