西安園芸博覧会の開催地、滻灞エコ・エリア
2011年世界園芸博覧会は4月、中国の古都、西安で開幕しました。開催地の西安市滻灞エコ・エリアに、かつての荒れた地の影はなく、大きく変貌しました。エコエリアには、広運潭、長安塔、創意パビリオン、自然パビリオン、広運門などのシンボル的な建物があるほか、国内外から出展された庭園が109ヵ所あります。また、数万本の花が植えられ、とてもきれいです。
西安は中国の歴史上、都としての歴史が一番長く、ここを都とした王朝が最も多いところです。滻灞エコ・エリアは西安の東部にあり、滻河と灞河といった2つの川が合流する場所で、古代書物には「灞上」、「広運潭」と記載されています。古代、ここは川の港でもあり、貿易が盛んで賑やかな場所でした。
滻灞エコ・エリアの歴史について、西安世界園芸博覧会管理委員会の王軍副主任は次のように紹介してくれました。
「滻灞地域は古代に栄えていた地域です。漢代と唐代の2つの時代、この地域は港でした。最も繁栄したのは唐玄宗の時代です。当時も商品の交易会が行われていました。今の言葉で言えば、世界の商品博覧会ですね。これは中国の歴史上、記録に残っている初めての博覧会です。水上シルクロードを通じて、福建省の泉州、浙江省の杭州から運ばれたシルク、お茶、米、陶磁器などの商品がここに運ばれ、シルクロードを通って、中央アジア諸国、ローマ、ペルシアに運ばれました。逆に、中央アジア諸国、ローマ、ペルシアから運ばれた商品がここに集められ、その後、中国各地に運ばれました。このためここは世界の商品の集散地として栄えていました」
その後、千年が経ち、かつて栄えていた滻灞地域は徐々に衰退しました。1980年代、誰も管理しない状態が長く続いたせいか、この地域の河川は、ごみが捨てられ、山となり、やがて汚染され生態環境はひどく壊されました。
当時の様子について、王軍副主任は次のように話してくれました。
「これまでに都市が急速に発展していたとき、先ずは生産、その後は生活という理念でした。企業や家庭の排水はここに流れてきて、ごみなどがかまわず捨てられ、大きな社会問題になりました。また、ここの土地には砂が多くて、植物を植えるのは難しかったのです。その代わりに、一部の人が砂を堀って、建築業者に売りました。砂だけを掘り出し、その後穴を埋めなかったため、この地域は非常に荒廃した土地になりました」
6年前、滻灞エコエリアが設置され、先ずは汚染処理をし、町を建設し、この地域が形成されました……(担当:任春生)
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