会員登録

5月20日 中国の旅

2011-05-20 18:44:41     cri    
























autostart="true"


















src="mms://media.chinabroadcast.cn/japanese/jplvyou20110520.wma">BR>



type="video/x-ms-wmv"













width="300"



height="44">

     

 西安は、日本人の中でもよく知られている地名です。西安は、昔は長安と呼ばれた唐の時代の都でした。当時、世界にも知られた国際都市で、世界各国の人々が長安に集まっていました。唐の時代の宮殿の一つ、大明宮は今日の西安市の北部の龍首原というところにあります。長安にある3つの宮殿の中で、建築規模が最も大きい、最も豪華で壮麗な宮殿です。中国の建築史上、「中国宮殿建築の最高傑作」とされています。現在は、総面積は3.7平方キロメートルの大明宮遺跡公園となっており、昔の長安の壮大さを再現しています。遺跡の上に復元された宮殿エリアのほか、観光エリアとサービスエリアがあります。

 大明宮の歴史について、唐の歴史を研究している学者、中国則天武后研究会常務副会長でもある王双懐博士は、次のように紹介してくれました。

 「歴史書物の記述によりますと、唐太宗は、自分の父親のために紀元635年に大明宮を建て始めましたが、この宮殿がまだ竣工しないうちに、唐太宗の父親は亡くなってしまいました。唐高宗・李治は、即位してから、それまで止まっていた宮殿の工事を再開させました。1年後に工事が終わり唐高宗・李治と皇后の則天武后は新しい宮殿、大明宮に移り住みました」

 その後、16人の皇帝が、この雄大で壮麗な宮殿に暮らし、国を管理する事務を処理したりしました。大明宮は台形の形をしており、3.2平方キロメートルで、広さはなんと北京の紫禁城の4倍もあります。丹鳳門、含元殿、宣政殿、紫宸殿、玄武門を中心軸とするこの壮大な建築群の中には、宮殿、東屋など100ヵ所以上の建物があります。これについて、王双懐博士は次のように話してくれました。

 「含元殿は大明宮の中にある一番重要な宮殿です。毎年の元日、唐の時代の皇帝はここで重大な祈願イベントを行いました。また、北方の遊牧民族に対する戦争で大きな勝利を収めたときもここで捕虜を皇帝に捧げました。そのほか、外国の首脳たちはここで朝貢式典を行いました」

 この時代、多くの詩人は、含元殿の外の風景を詩の中に詠み、これらの詩は書物に綴られています。

 残念なことに、紀元896年、大明宮は戦火の中で全焼してしまいました。大明宮は、建築から、およそ200年ほどで、この世から姿を消しました。

 現在、私たちが訪れることのできる大明宮遺跡公園は、宮殿建築の遺跡と考古学の発見をもとに復元されたものです。この遺跡公園は唐の時代の大明宮の姿を再現しているほか、近代的な手段で中国の考古学と遺跡保存の成果を展示しています……(担当:任春生)

関連ニュース
関連内容
v 5月13日 中国の旅 2011-05-13 19:46:40
v 5月6日 中国の旅 2011-05-06 21:13:31
v 04月29日 中国の旅 2011-04-29 18:40:47
v 4月22日 中国の旅 2011-04-22 18:07:42
v 4月15日 中国の旅 2011-04-15 20:27:43
v 4月8日 中国の旅 2011-04-08 19:24:24
写真トピックス
コメント
今週の番組
今日熱点
快楽学唱中文歌
特集ダイジェスト
LINKS