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日本軍憲兵隊の拘置所には、中国人だけでなく、日本人の囚人もいた。ところが、同じ獄舎につながっていても、日本人と中国人とでは食事が違うのである。内容が違うばかりではなく、食事の回数も違う。日本人は一日三食であるが、中国人は二食、つまり昼抜きである。
D氏と同室に朝鮮人が一人いた。D氏より七、八歳年上の知識人風の青年だった。その当時、朝鮮人は日本国籍ということで、三食待遇であったが、昼食になると、自分のご飯とおかずを、半分、D氏に分けてくれた。
その朝鮮人は、D氏に言った。
「自分は恐らく出獄できないだろう。死刑は覚悟している。やるべきことは十分やったから、もうこの世に未練はない。君は、その程度のことだから、いずれは釈放される。もうしばらく辛抱することだ。そして、自分は、共産党員である。共産党は、人民に奉仕する政党である、人民の利益だけを追求している。今、日本軍の占領地域のまわりにある抗日根拠地は、共産党が指導しているのだ」と。
そして、その抗日根拠地に行くには、どう行けば安全にいけるか、などを丁寧に教えた。D氏には、彼の一言一言が新鮮に聞こえ、それが暗闇の中にもひとすじの光明となった。目からウロコがおちるとはこういうことか、出獄したD氏は、自宅にも学校にも帰らず、両親あての手紙を信頼する友人に頼んで、そのまま邯鄲市郊外の八路軍のもとに直行した、という。
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D氏は、今、孫が何人もいて、毎日、笑顔のたえない生活をしているが、中日関係の発展に対する関心は強い。日本と中国が、再び戦争をするようになってはならない。私に会うと、何時も、最近の日本の情勢について話せという。もっと話せ、もっと話せとせっつく。
彼は、周恩来総理の「中日両国人民は、世々代々、仲良くしよう」という対日方針には、大賛成である。両国関係は、益々、緊密になっていくに違いない、と展望する。ただ、先の小泉総理の靖国神社参拝には、危険なものを感じる、という。
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