渋民村
東京の中国大使館に勤務していた頃、ある日あるパーティーで日本外務省の橋本恕・アジア局長と顔をあわせた。彼は、時事通信社主催の盛岡の勉強会で講演することになっているが、私に一緒にいかないかとさそった。二人で半分ずつしゃべろう、というのである。二人で北へ行く「弥次喜多道中」も面白いではないか、とも言われた。
私は、共同通信主催の勉強会にはたびたび出ていたが、時事通信の勉強会というのは初めてなので、二つ返事で賛成した。ところが、出発間際になって、ブルネイの王様が訪日されるので、アジア局長は抜け出すことができなくなり、浅井基文・中国課長が、局長の代理で私と同行することになった。
浅井氏は、優秀な外交官でありながら学者肌の人で、仕事熱心というよりも研究熱心で、中国の学界の動向などについては、私より詳しかった。しかも、彼は、北京の日本大使館勤務経験者で、気心が知れているし、私にとって、無論、異議はない。
出発の前日、中日友好協会秘書長の黄世明氏が訪日して、鈴木善幸先生がホテル・ニューオータニの近くの<福田家>でご馳走してくださることになり、私もそれに陪席した。黄氏は、北京で鈴木先生訪中の接待役をしたことがあり、話ははずんだ。私は、鈴木先生の選挙区が岩手県だったことを思い出し、「実は、明日、盛岡に行くことになっているんですが、渋民村は盛岡からどの位の距離がありますか」とたずねた。あまり遠くなければ、盛岡に行ったついでに、是非、石川啄木のふるさと・渋民村に行ってみたい、と思ったからである。鈴木先生は、「来るまで三十分もあれば行けますよ」と、答えて下さった。
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