惜別
振り返ってみると、劉敬先生は私に中国を見るための窓を最近発売のウィンドウズ・ビスタ (Windows Vista)ウィンドウず・ビスタの様にたくさん開いて頂いたくれたようにと有難く思っている。
劉敬先生と接することにより、中国語のみならず中国の歴史、文学、映画、音楽、京劇等に親しみを覚えるようになった。特に漢詩の朗詠の見事さは、聞き惚れるばかりであった。残念ながら今ではもう2度と聞くことは出来ない。先生のお陰で李白や杜甫の詩は20ばかり覚えることが出来た。王維の「送元二使安西」もその一つだが、天国では故人は誰もいないのか? はたまた旧知の友人が大勢先生を迎えてくれるだろうか? また再会して瑠璃の杯でぶどう酒を酌み交わす事ができるのは何十年先のことになるのであろうか?
私は、退職後にして、異隣国の同年齢の人とこのような出会いができたことを心から喜びを感じている。このような民間人同士の普段着のわだかまりのない交流にこそ、日中・中日相互理解の本当の鍵が含まれているように思う。日本は中国から漢字をはじめ動植物、食品、学問、生活文化、制度いたるまで学んできた。稲作、茶,胡瓜、桃、栗、柿、梅、から四書五経の論語、
老子、元号の「平成」の基になった史記等の精神文化、「自己啓発」、「完璧」、「四面楚歌」等の四字熟語や民俗習慣の「端午の節句」、「七夕」、「立春」、「冬至」等中国原産で日本化したものである。しかし「科挙」、「宦官」、「纏足」は国民性にあわなかった為か、入っていない。
逆に近世になって、日本から中国へ逆輸出されたものに「民主」、「革命」、「自由」、「共産主義」、「社会主義」、「思想」、「選挙」、「革命化」、「現代化」、「科学的」、「民族的」、「学校」、「学生」等がある。幕末から明治にかけて、日本人が欧米語を翻訳する際に漢字を組み合わせて作ったもので、明治になって孫文,魯迅他2万人余の中国の留学生が本国に持ち帰り普及した物である。遣唐使、遣隋使以来千年以上におよぶ長い間、禅僧初め人、物資、文化の交流を通して助けられたり助けたり幾多の経験を積んできた。近年経済と文化の交流が進むにつれて、相互に駐在員、数万人の留学生、今後飛躍的に増加する観光客が個人個人の接触を通じてお互いの文化への理解を深めてきているし、今後も深めてゆくと思われる。
その意味でも我が師であり我が友である劉敬老師が、あんなに元気だったのに、たった3ケ月でまだお元気なのに、急逝されたことを心から残念に思っている。悔やんでいる。
幸い中国語教室は婿の陳先生が昨年から引き継いで下さっている。今後も93歳の西沢さんに負けないよう70歳の体に鞭打って、頭の体操、ボケ防止をかねて引き続き、毎日勉強を続けてゆきたい。中国の諺で「薪は燃え尽きても火種は残る」というのがあるが、劉老師の遺志をついで、ささやかながら日中友好相互の理解増進のため民間交流に努めたいと想っている。(写真は孫たちと一緒にいる劉敬老師)
最後にあたって劉敬先生のご冥福とご家族のご活躍とご健勝を祈って筆をおきたい。
合掌 1 2 3
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