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<リスナーの投稿>日中のスポーツ交流で結ばれた生涯の友情 
   2007-02-12 17:58:26    cri

老朋友・中国語教師・劉敬さんの想い出

大松 美智代(元日本女子バレーボール・ナショナルチーム大松博文監督のご夫人。東京都在住)

劉敬氏(1936ー2007)の略歴 

 1936年北京生れ、1961年北京大学東方言語文学学部を卒業。同年9月北京市体育委員会に配属されて、翻訳・通訳を担当。1970年に中国国際図書貿易総公司に転勤。1992年に同駐日本東京事務所の所長就任。1997年定年退職。2007年1月8日日本にて病没。学識豊かで達者な日本語を駆使して周恩来総理、鄧穎超、郭沫若など国家指導者の通訳をし、度々中国代表団の通訳として来日。『魯迅写真集』、『鬼?大松博文の自述』等を翻訳出版。『体育科学技術専門用語』、『出版発行専門用語』等日本語の教材を編集し、日本語畑の人材を多数養成した。来日以来、10年にわったって公私共に、日中の文化交流と友好に多大の貢献をされた。

 劉敬さんと最初にお会いしたのは1965年4月でした。東京オリンンピクで主人大松博文が率いたに日本のバレーボールテイームが優勝した翌年、中華人民共和国の当時の首相周恩来氏の要請で、中国の全土から選抜された女子ナショナルチームのコーチとして指導を致しました。4?5月と10月にそれぞれ約40日間、上海の体育館で日本でと同様深夜に及ぶ猛烈な特訓を行い、それまでに得た世界一の知識・ノウハウの総てを余すところ無く教えました。そのメンバーの一人・王英蘭さんはその後中国体育協会で長く活躍されました。

 当時はまだ国交回復前で香港から広州へ鉄橋を渡って入国し、そこで2?3日待ってから飛行機で北京へまいりました。広州で一緒だった杉村春子さんの文学座一行50名は三泊4日の汽車で三日後に北京へ到着され再会しました。一方こちらはどこでもフルアテンドの国賓待遇には恐縮いたしました。(写真左から二人目着物姿の大松美智代夫人、周恩来首相、大松博文氏、一人おいて大松氏秘書、1993年5月一日。場所は人民大会堂の歓迎会で)

 北京ではメーデー(五一万国労働節)の人民大会堂での式典に出席させていただき毛沢東主席、周恩来首相、劉少奇氏始め政府首脳の方々にもお目にかかりました。そのとき劉敬さんが通訳と案内をしてくださいました。夫人の李恵春さんも通訳をされていましたが、人民会堂の廊下でのすれ違いですが、お目にかかりました。以来「お春さん・ねえさん」の付き合いが続いています。10月にも国慶節の式典に上海から招待していただき出席しました。

 上海では和平飯店にいましたが、主人の練習中、無聊を慰める為、劉さんが付ききりで面倒を見ていただきました。美術館、模範工場、観光名所、京劇、オペラ「白毛女」上海雑技団等色々なところを案内していただきました。北京では故宮博物館、万里の長城等も。

 珍しいのでどこへ行っても質問攻めにしたので、当時28歳の劉さんにはさぞかしご迷惑なことだったろうと、今にして反省しています。思えばもう40年余り前のことになります。(写真は1965年5月中旬、上海の体育館で、中国女子ナショナルテイームを指導中の大松監督を周恩来首相が感謝と慰労の為訪問したときの写真。) 

 国交回復後劉さん一家が来日。あちこち探されたようで、東方書店経由で消息が分かって連絡がありました。私どもも東京へ移住したこともあり、お付き合いが再開し、子供の越ちゃん達まで含め家族ぐるみのお付き合いが今まで続いています。

 1990年北京市内、1993年長江の三峡下りも、今93歳の西沢さんはじめ中国語教室のメンバーと劉さんに案内していただき、本当に楽しい時を過せたのは永遠に忘れられない想い出です。一番大事な写真はお棺の中へ入れていただいたので、手元には残っていませんが、目さえ閉じれば鮮やかに瞼に浮かびます。5歳下の肉親以上に親しい大事な人だったのに、今はもう言葉を交わすことも出来ません。

  ダンスで鍛えた足腰と理科系の精緻な頭脳の持ち主で、若さあふれる万年青年だった劉さん。穏やかな人柄で、明るく気さくで万人に愛された劉さん。パソコン、写真、ビデオに熱中していた劉さん。料理が得意で友人にご馳走を振舞うのが大好きだった劉さん。家族、友人を大事にする劉さん。まだまだ活躍されるのを万人が信じていたのに、どうして、どうしてそんなに早くあの世へ行ってしまったのでしょうか?今でも信じられません。

 (写真の左から劉敬老師(当時57歳)、6人目川村育子、7人目大松美智代、11人目西沢岩松(当時80歳)等の中国語教室のメンバー総勢11人。1993年06月26日、三峡下りの白帝号船尾デッキにて)

 何かしてあげたい、あれも、これもしてあげたいと想っても、今ではもう為す術もありません。今できるのは、劉さんのご冥福を祈り、残されたご家族のご発展とご健康を祈ることしかありません。 

劉さん、安らかにお休みください。    合掌

大松博文氏の略歴

1921年 香川県で生まれる

1941年 関西学院大学卒業、株式会社日紡に入社

1952年 ニチボーバレーボール部結成、監督となる

1962年 世界選手権大会(ソ連・モスクワ)で優勝

1964年 女子バレーボール日本代表、東京オリンピック大会で優勝

1965年 中国周恩来首相の要請を受け、中国女子ナショナルチームを指導

(4月と10月に各1ケ月計2ケ月)

1968年 7月参議院議員になる

1978年 11月24日岡山県でバレーボール指導後急死

       その後中国女子チームは5連覇を達成

著書

『なせばなる』、『俺について来い』、『私の信念』、『大松中国を鍛える』、等多数。

その内『なせばなる』、『俺について来い』の2冊は劉敬・李恵春夫妻の翻訳で中国で

出版・販売された。

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