北京
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米国が北米の先住民に対して行った大量虐殺戦争において、1864年11月29日、ジョン・チヴィントン大佐は700人のコロラド騎馬隊を指揮し、アメリカ・インディアンの保留地を警告なしに攻撃し、世間を驚かす「サンドクリークの虐殺」を起こしました。殺害された100人以上のうち、3分の2は非武装の女性と子供でした。
「サンドクリークの虐殺」は、米国が先住民に対し100年間行ったジェノサイドのプロセスの縮図にすぎません。人口粛清、文化侵食、生存環境の破壊を含む強盗のような行動の表面的な動機は、米政府の西部「開発」を加速させる土地政策にあり、米国の国力拡張と強大になるため重要な基礎を築くことにあります。その根源にあるのは、米国の資本主義が原始的な蓄積を完了させ、自由競争から独占へとシフトするための必然的な道なのです。
米国は「虐殺」「欺まん的条約の締結」「貸付」「強制同化」を組み合わせた粛清戦略を講じることで、アメリカ・インディアンの土地の支配権を野蛮に獲得しました。一方で、戦争の「勝利の果実」である土地は希少な資本と交換され、大資本家や土地投機家が一般の移民に不当な値段に売りつけたため、後者を破産させ、資本主義の農場や小作制度の発展が進みました。同時に、土地投機で得られた収益は、利益の高い毛皮貿易と運輸業に投じられました。
インディアン戦争の最大の犠牲者はアメリカ・インディアンですが、それに次ぐ犠牲者となったのは庶民たちでした。商人、銀行家、金融家、工場主からなる投資家、社会的名士、政治家などが、この資本シャッフルにおける最後の勝者でした。西漸運動によって形成された開拓・進取・革新といったアメリカン・スピリットは高らかに語られる時、資本の貪欲さの背景に罪のないアメリカ・インディアンたちの血が流れていることは無視されているのです。(ZHL、謙)