北京
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「中日友好阿波踊り新春イベント」の様子
抑揚ある三味線の演奏、鉦鼓と太鼓のリズム、それに乗る踊り手たちの整然とした掛け声。男性は力強く、女性は柔らかくひらひらと、いずれも緩急のついた踊り。冬の上海にいながらにして、眼前の舞台には夏の徳島のような熱気が満ちています。
1月30日、上海市人民対外友好協会と日本徳島県上海経済事務所の共同主催により、古北市民センターで中日友好阿波踊り新春イベントが開かれました。現場の様子は収録され、上海市民への新春の祝福のメッセージとなりました。
徳島県上海経済事務所の山田寛之所長
阿波踊りは通常、「連」と呼ばれるチームで踊られます。徳島県上海経済事務所山田寛之所長によりますと、今回踊りを披露した「上海連」は、上海で生活している日本人と阿波踊りが好きな上海人で構成されており、「上海阿波踊り同好会」を発足させ、月に1回集まって踊っているということです。
「上海連」の踊り手 中央は徳島県上海経済事務所の渋谷俊副所長
「上海連」の踊り手の一人である八島さんは、2年前に上海にやってきた徳島県出身の女性です。八島さんは「7歳の頃に阿波踊りに触れ、練習をしてきた。このイベントに参加できてとても嬉しい」と話しました。徳島県上海経済事務所の副所長でもある渋谷俊さんは踊りの衣装について、「みんなが着用しているのはオリジナルの伝統衣装。男性は法被で、女性は浴衣に編み笠などを着用する。デザインは数百年かけて変わってきている。踊るときの掛け声『ヤットサー』、『ヤット、ヤット』は古代の歌謡曲から伝わったもので、意味のある言葉ではないが、拍子を作って、互いに励まし合う時に使われる」と説明してくれました。
舞台で踊るのは今回が初めてだという余さんは、「去年11月から阿波踊りを始めた。専門の教室があって、タブレット端末でビデオを見ながら、何回も練習してきた。日本人の先生はとても真面目で、まず足と手を順番に練習して、次に両方一緒に練習して、最後に音楽と合わせて練習した」と話しました。
1980年代に東京に留学した経験をもつ上海出身の華さんは、「留学時代に住んでいた場所では、毎年8月12日から16日で阿波踊りのお祭りがあったので、それが印象に残っていた。徳島県上海経済事務所を通じて上海の阿波踊り同好会の情報を知り、練習に加わった。日本文化は歌舞伎、能、茶道などさまざまだが、阿波踊りは日本文化を知るための良い入り口だと思う」と話しました。
上海では実際に、阿波踊りが中日の文化交流を促進しています。山田所長は、「阿波踊り同好会を通じて、みんなが友達になった。生活に問題があったら、メンバーが疑問に答え、悩みを解決し、互いに助け合う関係になった。例えば私は2019年7月に上海に赴任したが、当時は上海でゴミの分別が実施され、その細則をすぐに知ることは難しかった。そんな時に阿波踊りで知り合った中国人の友達に教えてもらえた」と微笑みながら話しました。
第3回中国国際輸入博覧会で阿波踊りを披露する「上海連」
上海での阿波踊りの普及について、山田所長は「昨年に上海で開かれた第3回中国国際輸入博覧会では、日本貿易振興機構(JETRO)に招かれて『上海連』が阿波踊りを披露した。今後も徳島県上海経済事務所は阿波踊りをはじめとする徳島県の文化産業をさらに普及させ、上海と徳島の間の文化・経済・貿易の交流を促進していきたい」と示しました。(殷、謙)