北京
PM2.577
23/19
「コロナ禍における文学創作と作家の責任」と題した中日作家交流会が6日午後、中国と日本の会場をつないで、テレビ会議形式で開かれました。長引くコロナの影響を背景に、文学交流の形を模索し、中日の若手作家同士の文学交流を深めることを目指して、中国作家協会と日中文化交流協会の共催で実施されました。
交流会は中国作家協会書記処・胡邦勝書記の進行の下、約2時間にわたって開かれました。中国作家協会の鉄凝主席、日中文化交流協会の中野暁専務理事がそれぞれ開会の挨拶をしたほか、中国からは李敬澤氏、李洱氏、日本からは島田雅彦氏、中上紀さんなど、合わせて12人の現役作家が参加しました。
鉄凝主席はあいさつの中で、新型コロナの感染が拡大した後、両国の間で展開してきた相互支援および漢詩が人々の心を通わせる上でユニークな役割を果たしたことに触れ、「今後も日本の作家の方々と共に努力し、中日間の文化と文学交流を深めることで、代々にわたる両国の友好に貢献していきたい」と思いを語りました。
日本中国文化交流協会の中野暁専務理事は、両国の文学者が国交正常化以前から交流し、翻訳家の努力で互いの作品を読み合い、交流によって友情を育んだ歴史に触れ、「作家同士の友情は、大勢の読者に広がっていくもので、若い世代に日中交流の意義をバトンタッチしてほしい」と期待を寄せました。
参加者たちは、それぞれがいま置かれている創作環境や社会の変化について紹介したうえで、新型コロナを文学創作と関連づけ、その中における作家の責任をめぐり率直な意見交換を行いました。
島田雅彦氏と中国作家協会の副主席でもある李敬澤氏はそれぞれ総括の発言を行いました。その中で、島田氏は「(人類の)疫病との戦いは長い歴史を持つ。疫病を乗り越えるために必要な倫理はここ100年変わっていない。このことを互いに確かめられた実りのある対話だった」と話しました。李敬澤氏は「新型コロナで隔離と分断が進む中、人々が精神的に孤立せず、呼応しあい、他者とつながりを持てるようにする。これだけ深刻な災難が起きても、人類はどの人も生命の共同体中の一員であることを人々に気付かせる。これこそが作家のすべきことであり、現在または未来に対して作家の果たすべき責任だと思う」と結びました。
両国の作家がオンライン形式で交流をするのは今回が初めての試みです。交流会の後、日本側の一部の参加者がCRIのオンライン・インタビューに応じました。その中で、中上紀さんは「文学の役割は何かということを常に考える必要がある。このことを一番感じさせてくれた」、柴崎友香さんは「コロナ禍で、日本国内でも作家同士の交流の機会が限られる中、中国の作家たちと話ができたことは貴重な体験だった。作家は何をすべきかについて、力強い言葉を聞くことができて励まされた」とそれぞれ感想を述べました。また、日本側参加者の中で最年少者である阿部智里さんは、中国人女性作家の金仁順さんがフランス人作家カミュの『ペスト』を引用しながら、「災難は避けられないが、災難に対する態度は自分で選べる」という発言に感銘を受けたと話し、「これからの世界と社会をどう受け止めるかを再確認した対話だった」と確かな手ごたえを示しました。さらに、「コロナ禍の中で、中国の作家たちの一番苦しかった事や、逆に一番楽しかったこと、そして、作家としての経験や責任から離れて、個人として、一体どういった眼差しで今この世界を楽しみ、或いは苦しみを受け入れたかをもっと聞きたかった」と今後も交流が継続されることに期待を寄せました。
中国作家協会と日中文化交流協会の交流は1956年に遡り、中日両国は1972年に国交正常化が実現する前においても、中国側は茅盾、郭沫若、老舎、謝冰心、巴金ら、日本側は中島健蔵、谷崎潤一郎、亀井勝一郎、井上靖、大江健三郎ら両国を代表する作家たちが参加する交流の歴史がありました。直近では、毎年のように行われている青年作家の相互訪問や昨年に長崎で開かれた両国歴史小説家が語り合う鄭成功をテーマにしたシンポジウムなど、交流が盛んに行われています。(取材:王小燕、劉叡)