「石庫門」は、1920ー30年代にかけて多く建てられた、上海独特の建築物です。「石庫門」はいわゆる共同住宅で、枠を石で作った門があるのでその名がついたと言われています。
「石庫門」の起源は19世紀末にさかのぼります。この時期、上海では武装蜂起や農民一揆が相次ぎ、多くの外国人や上海周辺の豪商、役人たちは戦乱を避けるため、上海の一角に逃れて避難所を建設しました。戦乱の終息後、そこに多くの人々がやってきて定住するようになりました。それから現在まで、上海市民の住宅として利用されてきたのです。
当時、外国の租界地だった上海には、西洋文化がさかんに伝えられていました。そのせいか、「石庫門」建築からは、中国文化と西洋文化の双方の影響を見て取れます。木造、瓦ぶき屋根の中国伝統の建築様式を色濃く残していますが、ローマ建築風のアーチ構造の柱になっていたり、西洋風の彫刻が施されていたりします。また、基本的には2階建てとなっており、「石庫門」建築の住宅が並んだ横丁を「弄堂」または「里弄」と呼んでいました。
貴重な歴史遺産である「石庫門」ですが、近年、都市開発のなかで取り壊されるようになりました。また、多くの「石庫門」の民家には、ガス・トイレ・バスといった衛生設備がなく、キッチンとトイレが共同となっています。こうした生活環境の悪さから、郊外の新築マンションに引っ越す住民も増えてきました。消えゆく「石庫門」を保護しようと、上海市政府は「石庫門」の保存事業に取り組んでいます。また、「石庫門」を改装して、おしゃれなバーやレストラン、ブティックとして再利用するケースも増えています。有名なのは、2001年にオープンした新名所「上海新天地」です。古さと新しさが混在した雰囲気が若者に人気で、朝から晩まで、多くの人で賑っています。
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