かつては、国務大臣として5年5ヶ月(1980日)間と言う、戦後日本の連続最長在任記録を作った竹中平蔵さん。2006年秋、小泉首相の任期満了に伴って政界を引退。その後、古巣の慶応義塾大学に戻り、再び教育と研究に携わるようになりました。現在の門下生には中国からの3人の留学生も含まれているといいます。
経済閣僚在任中、「聖域なき構造改革」を推進し、日本経済の建て直しと財政赤字の削減に取り組み、成果をあげました。一方で、格差社会の種を撒いたと強い批判も受けました。
また在任中は、中国の代表的な経済誌『財経』のインタビューを受けた他、引退直後には北京大学で集中講義を行い、その内容は中国語に翻訳、出版されました。中国の経済関係者の間では、良く知られている日本人の一人だと言えます。
先月、自らが編者の一人を務めた著書、『日本大災害の教訓―複合危機とリスク管理』(写真)が中国で翻訳出版されました。その発表会と記念シンポジウムのため、二年ぶりに中国を訪問。
かつての経済閣僚、現在は経済学者として、経済や政治の究極の目的をどう捉え、そして、それをどのようにして実践しているのか。約2時間にわたり、迫ってみました。
インタビュー記事は①災害復興の現状、②故郷和歌山への思いと政治家としての抱負、③中国経済の観察の三回に分けて掲載します。
■教訓の共有化は、日本から世界への恩返し
――『日本大災害の教訓―複合危機とリスク管理』の本に寄せた思いは?
日本は1923年の関東大震災後、世界から支援と激励をもらいました。復興の後、当時の復興院総裁だった後藤新平さんは大災害の様子と復興における日本の取り組み、成功と失敗を含めすべてを伝えることが世界への恩返しだと思い、本を書きました。今回も同じです。
東日本大震災が起きた去年、日本はスーダンを上回る最大の援助受入国になりました。世界全体に今後の危機管理、クライシスマネジメントの参考にしてもらいたいという思いで、専門家10人が集まって書いたわけですが、「グローバルな教訓」を共通認識にしました。
当初は日本語と英語で出すことを考えていましたが、幸いにして、韓国では高麗大学、中国では北京大学に協力してもらったお陰で、4ヵ国語でほぼ同時に出版でき、感謝しております。
――東日本大震災から1年余り過ぎました。
1年経ったけれども、なかなか東北の復興は進みません。もどかしさも感じながら、何としてでも東北を復興させなければならない。「日本はこんなに立派に復興しました。見てください」と早く言えることが、世界の皆さんに対する最大の恩返しだと思うんです。
――復興の歩みを全般的にどう評価していますか?
大災害により、日本社会の強さと弱さが極端に明暗を分けました。
強いことろは、防災システムが比較的うまく機能したことです。2万人近い方が犠牲になったのは大変残念ですが、津波警報が地震から3分後、すべての市町村に出たので、たくさんの方が津波から逃げることができました。新幹線も脱線事故を起こさず、防災技術が確実に生かされました。また、いわゆる「サプライチェーン」の崩壊が事前の予想を遥かに上回るスピードで回復し、民間部門が強さを見せてくれました。
その一方、復興予算が国会を通過するのに8ヶ月もかかってしまい、ねじれ国会という複雑な事情があるとは言え、やはり政治のリーダーシップが弱く、なかなか復興が上手く進みません。
――復興に向けて、政治の安定が一番大事だと訴えているのですね。
やはりこれから更に復興を本格化するに当たっては、非常に強い政治のリーダーシップが要ると思います。
今回の震災は非常に不幸な出来事ではありますけれども、経済の観点からみると、チャンスでもあるんです。災害で町ごとに無くなってしまったので、たとえば、理想的な21世紀型のエコタウンやスマートシティーなどをゼロから作るチャンスでもあります。農業に関しても、零細農地を集約して大規模な農場にして、カナダやオーストラリアに匹敵するような強い農業をつくるチャンスでもあります。そのチャンスを活かすためにも、やはり非常に強い政治のリーダーシップと安定が必要だと思います。
■災害復興にもチャンスあり 問われる政治のリーダーシップ
――震災後、日本企業の海外移転の傾向が強まるのではと懸念しますか?
それは今後の政策次第だと思います。震災から1年経って、当面の混乱は明らかに収まったんですけども、日本経済の中期的なリスクというのは収まっていない。電力不足がその象徴的なもので、結果的にそれが産業の空洞化につながるかもしれない。電力が今後も不足するかもしれないことを考えると、製造業は強い競争力を維持するためにも、海外展開を当然思うわけですよね。それを阻止するためには、日本の政治が安定して、経済復興のための政策が上手く機能していると多くの人が認識しなければいけない。その認識を作れるかどうかは、今後の政治状況にかかっていると思います。
――日本の企業は心配されているほど、すぐには海外移転に走らないという考えもあるようですが…
そういう見方があることも承知しています。第4次中東戦争が起こった1973年に、エイケンスという人が、『フォーリン・アフェアーズ(Foreign Affairs)』誌に、「今まで原油が上がる、上がると言われていながら、上がらなかったけども、今度こそ上がるぞ」という有名な論文を書いたわけです。実は、今の日本の状況もこれに近いのではないかなと思うんです。
今までも法人税が高い、円が高い、そういう中で日本の企業が外に出るんじゃないかと言われながら、それほど出なかった。しかし、電力不足になり、政治のリーダーシップも欠如するとなると、それは企業にとって大きなリスクになります。
ですから、今度こそ狼はやってくるということを強く認識して、私は政治には気を引き締めて、しっかりとした対応をしていただきたいと思っています。
――今後の日本経済は、政治家たちの舵取りにかかっているということを強調しているのですね。
その通りです。さっきも言いましたが、日本は今ゼロベースで色んなことができます。そして、ようやく予算が通って、復興マネーが回り始めました。これはGDPの3%を超える非常に大きな額なので、これをきっかけに、私は日本の需要がしばらく増えていくと思います。こういうチャンスを生かせるかどうかが、日本の政治に問われているんだと思います。
■ 原子力への依存引き下げは避けて通れない道
―― 一方、今後の日本におけるエネルギーのあり方については、どうお考えですか?
エネルギーを長期的にどうするかというのは、日本にとってこれから相当深刻な問題になってくると思います。
原発の問題はマルかバツかではなく、その前にピーク時の電力需要の抑制と蓄電技術の向上が方向として考えられます。その上で、それでも最終的に原子力発電にどの程度依存するのかということは、やはり国として意思決定をしなければいけなくなると思います。
今、日本の国民には、原子力に対して非常に大きな不信感があります。これは原子力技術に対する不信感と、原子力を扱ってきた電力会社と経済産業省に対する不信感とが入り混じった形で存在していると思います。その意味では、原子力に対する依存度を下げていくということは、避けて通れない道かなと思います。
しかし、いきなり原子力をゼロにするというのは、やはり現実的にはできないわけで、安全を確保しながら、徐々にウエイトを下げていくことを日本は行う必要があるんじゃないかと思います。
日本はいま、年間約1兆円のエネルギー予算を使っていますが、そのうちの40数%が原子力に使われており、再生エネルギーへの資金はわずか6%ぐらいです。前者のウエイトを下げて、自然エネルギー、再生型エネルギーに回すことによってかなりの技術進歩が達成できる。やっぱりそういうのをチャンスと捉えて、積極的な行動を取ることが今の日本に求められているのだと思います。
――日本国内では、原発反対の声が高まっていますが…
その辺に関しては、政府や電力会社がきちんとした説明をしなければいけないと思うんですよね。実は今回の非常に大きな教訓は、小さな安心を大事にしすぎたために、大きな安全が損なわれたということなんだと思います。例えば大きな検査をやろうとすると、原子力はそんなに危ないのかと、みんなが思ってしまう。だからそういう大きな検査をやらなかった。本格的な危機管理ができていなかったわけですね。
政府は、安全性向上に向けての仕組みをどのように再構築するのか、今問われているんですね。
――「原発は究極なところ、無いほうが良い」という考え方もありますが、竹中さんの受け止め方は?
私は必ずしもそうは言えないと思います。火力だって、リスクがあるわけですよ。水力もです。リスクは常にあります。これは百パーセント安全で、原子力は百パーセントでないとか、その考えが現実的でないと思いますね。
できるだけ原子力に依存しなくても良いような方向を目指す必要がありますが、だから原子力を究極的にゼロにしなければいけないというふうに、今の時点で決めてかかるというのは、私は間違っていると思います。原子力に関しても、画期的に技術が進歩する可能性があるわけですから。その可能性を摘んではいけないと思います。
それから、電力そのものに対して自由化政策を導入して、需要と供給のバランスを上手くとるというふうに、社会全体で色んなことをやっていかなければいけないと思います。
(つづく)
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