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中日合作映画「東京に来たばかり」 制作陣の皆さん  その2)

2012-03-27 16:00:43     cri    




















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 倍賞千恵子さん
 (行商おばさんで囲碁名人でもある五十嵐さんを演じる)

 倍賞千恵子さん 
 地震には負けていない作品 日中の架け橋になれ
   

 ――今回は何度目の中国ですか。

 3回目です。前回北京に来たのは、もう30年以上も昔のこと。その時は、コンサートで来たのですが、北京の後に敦煌にまで行きました。このほか、数年前に上海映画祭に招かれて行ったことがあります。

 北京はどれだけ変わったか。空港の大きさはもちろん、畑だったところに高層ビルが立ち並んでいます。また来られて嬉しいです。

 ――中国では、30数年前の改革開放で日本映画が紹介されてから、倍賞さんのファンが多くいたことはご存知でしたか。

 薄々と耳に入ってきました。最初に北京に来た時は、空港に降りてから、いろんな人から「バイサン、バイサン」と呼ばれていました。皆さんは私を見て、中国語で私の名前を呼んでくれたようです。

 ――最初にこの映画の出演依頼を受けたのは8年前のことだったようですね。

 そうですね。当時は記者会見までしました。しかし、様々な事情で撮影はできませんでした。それで去年、蒋監督から「また撮りたい」と連絡を受けた時、「7年も経ってしまったので、私も変わってしまい、もうできません」と答えましたが、監督は「今のままで大丈夫ですから」といわれて、それで引き受けました。私にとって、外国の映画に出演したのは、今回が初めてです。

 ――出演を引き受けた一番の理由は?

 (映画の中の)背負子(しょいこ)のおばさんにとても魅力を感じました。若い時に、私は下町に住んでいましたけど、ああいうおばさんをずいぶん見ていたのですね。それで、監督から話が来た時に、そういうおばさんの役で、それも日本の映画ではなく、中国から来た青年との間に起きた話と話してくれました。その辺がとても興味があって、引き受けました。

 台本をもらった時に、全部の風景が見えました。面白かったです。


倍賞千恵子さん(左)

 ――映画では、しょいこのおばさんは実は囲碁の名人でもあったのですね。

 はい、最後に、いつもは背負子を背負っていたおばさんが着物を着てバチッと囲碁をやるシーンがあります。そこも魅力ですね。そういうわけで、台本を読んでいて、良くこんな風に考えたなと思って。とても面白かったですね。

 囲碁の発祥地は中国でしょう。そこのところに目をつけてすごいなと思いました。しかし、自分でやってみたら、囲碁をバチッと打つのがどれだけたいへんなことなのか良く分かりました(笑)。

 ――打ち方の練習をしたんですか。

 しましたよ。もういろんな打ち方があって、シュっと何気なく打つんだけど、パチッと回りが散ってしまうし、なかなか一カ所に打つことができなくて。だから、碁石をいつも持っていて、どこかにテーブルがあると、こうやって打って練習し、暇さえあればこうやっていましたね。

 ――役作りで心がけたことは?

 私はわりと大股で歩くんですよ。あんまり大股に歩かないように。元気を保たせることかな。それから、撮影で千葉とか茨城とかにけっこう通っていたのでね。時間もかかったので、睡眠をなるべくとって良い状態でいかないと、カメラの前に立った時に自由に動けないから、それだけはちゃんと心がけていました。いつものことですけれどもね。

 ――ところで、倍賞さんの目に映った蒋監督はどんな人ですか。

 気さくな監督ですよ。しかし、ものすごくせっかちでね(笑)。

 「あれ、どうしてそっち行っちゃうの。監督、分からない!」という感じで。最初は通訳を通してきちんと聞いていましたけど、タイムラグもあり、一々間に合わない。しかし、そのうちに、通訳がなくてもお互いに分かるようになり、通じ合えました。

 ラストシーンを撮影する時もテンポが速くて、このシーン、そして、この映画に、監督がそれだけたくさんの思いが入っているのだなと良く分かりました。とても楽しい体験でした。

 ――中国人留学生「吉留」を演じたチン・ハオさんとは、一緒に演じるシーンも多かったですが…

 チンハオはいつも黙々と彼の役を考えていて、すごく感性があっていいね。ふっと気がつきますと、自分を集中させていました。ある時、待ち時間があって、撮影が始まる前に、チンハオはその借りたお家の庭をただ、ぐるぐる歩いていました。自分を集中させていたのでしょうね。

 ふっとその人になっちゃえばもう楽なんだけど、なんかうまく行っていない時に、集中���て追い込んでいく。そういう俳優さんなのかなと思いました。私もやっていましたので、そういうのが分かりますね。 

 ――大震災の時の撮影だったようですね。

 そうでしたね。大変な時期の撮影でした。ロケに行く途中、瓦葺きのお家が多くて。地震で壊れて、修理が間に合わない、そのままブルーシートをかぶっただけのお家が多くて。また、余震もよく起こり、そう言う意味では、忘れられない撮影体験ですね。

 ――いよいよ中国全土の公開上映です。いま、どのように撮影の過程を振り返りますか。

 最初は言葉の壁もあり、コミュニケーションがうまく取れないこともありましたが、監督も役者もスタッフもみな、「東京に来たばかり」という同じ山を目指していたので、上っていくうちに、段々と言っていることが良く分かるようになり、気持ちよく仕事することができました。

 皆が力をあわせて努力し、地震に負けない映画になったと思います。

 ――最後に、中日国交正常化40周年の節目の年に、両国のスタッフが力を合わせて完成したこの映画に寄せる思いを聞かせてください。

 今年という節目の年にこういう映画ができたことをとても嬉しく思っています。日本と中国の合作がこの機会にできたことは、私はすごく意味があると思っています。この映画が中国と日本の色んな意味での架け橋になってほしいと思っていますし、これからもっともっとたくさんの合作映画が生まれたらいいなと願っています。  (聞き手・整理:王小燕)

 倍賞千恵子さん【プロフィール】

 1941年 東京都生まれ
 1960年 松竹音楽舞踊学校を首席で卒業。同年、松竹歌劇団へ入団
 1961年 松竹映画でデビュー。以来、山田洋次監督「男はつらいよ」シリーズ全48作をはじめ、延べ164作品に出演。うち、「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)、「遥かなる山の呼び声」(1980年)、「男はつらいよ」(~浪花の恋の寅次郎~1981年)など、中国で上映された映画も多数。
 1962年から歌手としても親しまれて活躍中。

 【取材メモから】

 倍賞さんの30年ぶりの北京行きは、わずか1泊2日の短い滞在でした。
 その日は、北京の天気のせいで、4時間ほど飛行機が遅れました。予想以上の長旅になったにもかかわらず、疲れを見せずに、到着早々メディア数社が待機しているインタビュー会場に直行しました。一社ずつ、丁寧に答えていました。
 映画では、流れ出る水のような自然派の演技に多くの観客が魅了されました。実際にお目にかかると、少しの飾り気もなく、ピュアな声で語ってくれました。まだ肌寒い早春の季節には少し早い感じでしたが、黒のドレスに黒い扇子がよく似合っていました。「私の友達が作ってくれた扇子ですよ」、と由来を聞くと、顔をほころばせました。
 1社あたりの取材時間を気にして、配給会社のスタッフは粘り強く取材しようとする記者たちに、「持ち時間終了です」と何度も告げました。しかし、その度に、倍賞さんは微笑みながら「いいですよ、どうぞ」と見守るようにして、記者にやさしく声をかけてくれました。さりげなくその場にいる人に気を使い、自分よりも他人のことを先に考える。やはり、どこに行っても、思いやりの気持ちが強い「さくらさん」でもあります。
 ところで、映画好きの中国人にとって、「倍賞千恵子」は青春の思い出とともにある役者です。1980年代初頭、高倉健さんとの共演映画、あるいは、「男はつらいよ」での「さくら」など、中国でも好かれる役が多かったです。一方、若者の間では、最近では、宮崎駿監督の「ハウルの動く城」で吹き替えや主題歌を担当したこともあり、アニメ好きの若者の間でもよく知られています。
 さて、倍賞さんにインタビューしたくて殺到してきたメディアの中に、こういうハプニングがありました。あるウェブサイトの若手記者は取材を一通り終えてから、「最後にもう数分お時間ください。一問ずつ、手短にお答えいただく一言問答のセッションです」。和気藹々で、笑顔が絶えなかったムードに別れを告げるのを惜しく思っていたようです。
 「ご自身の一番好きな役は」、「人生で一番滑稽な出来事は」、「山田洋次監督をどう評価しますか」などとさり気ない質問がしばらく続いていました。いよいよラストの質問です。
 その場にいる人をドキッとさせた問題でした。日本語に直訳すれば、「理想的な死に方は?」です。
 数秒の間隔の後、流れてくるピュアな声で、倍賞さんの答えが聞こえました。
 「生き続ける…」
 肉体の死がやってきた後も、人々の心の中ではずっと生きていく。わずか五文字に託された深い思いでした。大きく頷けました。余韻の残す終わり方になりました。
 心に残るもう一つの問答もありました。
 「上手な年のとり方は?」
 「好きな人と好きなことをし、好きなところへ行って過ごす。とにかく動き続けることです」
 1泊2日、正味24時間にもならない北京滞在。日本に戻った翌日は、福島・昭和村での新作映画の撮影が予定されています。10年前の乳がんの手術を経て、70歳を過ぎた後も「上手な年のとり方」の信条を実践し続けている倍賞さん。ピュアな美しさとパワーはこうやってたたき上げたのだと納得しました。 (王小燕)

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