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田中宏さん 中国人強制連行を考える会代表(下)

2010-12-21 18:09:06     cri    

国際・交流へ

■日本の外交的現実

――政権交代が戦後処理の問題解決にどのような影響を与えたと見ていますか。

 民主党政権の発足に期待していましたが、やっぱり長い間野党だったので、政権を取って動くということの難しさを、今、経験していると思います。最近、もう一つの自民党ができたと考えながら、付き合っていかざるを得ないなと思っています。
 政権交代後、ドイツ型の解決案を新しい政権はやるべきだと色々言ってはいますが、まだ具体的にはなっていない。ただ、企業がぽつぽつ動いていくと、中には「政府が動かないとやらない」、逆にいうと、「政府が動けば私たちもやる」ということを表明した企業が出ています。そういうのをうまく動かしながら、なんとか強制連行された4万人の全体解決に持ち込めないかなということは考えています。

 

――戦後40年の村山談話に対して、今年、「菅談話」が発表されました。
 「菅談話」の中にはサハリン在住朝鮮人の問題や、文化財のことなど具体的な問題が出ています。その点、すべて抽象的なことで、精神のみが盛り込まれていた「村山談話」とは違い、評価したいと思います。
 民間の運動の力もあったと思います。ただ、たとえ自民党政権が続いていたとしても、「菅談話」のようなものを出さざるをえなかったのではないかと思っています。日本は歴史にかかわる対外的なことについては、一応、言うべきことを言わないとやっていけない状況があるとぼくは思います。

 

 

 

――中日国交正常化は国際政治の変化がバックにあって実現したものだとおっしゃいましたが、将来を見据えた日中関係を見る時、歴史問題がうまく解決されないと、どのような影響が考えられますか。
 この9月、三菱マテリアル(旧社名:三菱鉱山)を相手取って、損害賠償を求める裁判が山東省の最高人民法院に提訴されました。
 現実的に、これだけ密接な日中経済関係がある中で、特定の企業が戦時中、戦争が残した問題を抱えて中国で仕事するというのは段々難しくなっています。
 日本政府は世界で、たとえば原子力発電や新幹線を売りたくて、政府が積極的に諸外国に働きかけていますが、それをやると、必ず歴史の問題にぶつかると指摘したいです。しかも、かつての同盟国のドイツがやったわけだから。何で日本だけがやらないのという話になってくる。その辺もっときちんと政府も一般の人も考えなければならないと思います。

 

――日本政府の出方に何か新しい動きがありましたか。
 2006年、天津で中国人強制連行記念館(「在日殉難烈士・労工紀念館」)が開館した際、在北京日本大使館の公使に思いをぶつけ、要望書を手渡すことができました。昔は要望書を出すなら、石と一緒に縛って、大使館の敷地内に投げこまなければならないというのが普通だったようです。
 また、去年8月、強制連行され日本で亡くなった中国人6830人を弔う初の日中合同慰霊祭が東京で行われましたが、日本の外務省は、中曽根外相の名前で花輪を出すということを初めてやりました。そういう形で少しずつは動いています。

 

――中国人強制連行に関する戦後処理問題が解決される見込みは?
 これからはとにかく、ドイツの「100億マルク基金」のような枠組みを作るということについて、日本の政府が踏み込むか否か、そこに具体的に出てくると私は思っています。
 結果はなかなか予測が難しいですが、三菱マテリアル(旧三菱鉱山)の場合、戦時中、北海道と九州の炭鉱で9つの事業所があり、今も中国でもたくさん仕事しています。この前、同社関係者と会った時、「解決したい。ただし、政府も一緒に出てきてほしい。日本の三菱と中国の被害者とで交渉をして固まったとしても、中国の国内で別の人が裁判を起こすケースがあるので、法的安定性、つまり、完全にそのことが解決するということにならない」ということを懸念しているようです。そこで政府が絡んで、政治的に両国政府が後ろにいて、ちゃんと全体的な解決をするという条件ができれば安心してできるということをはっきり言っています。
 歴史問題は両国の今後の関係発展をはかる上で、避けて通れないことなので、これをきっかけに、ぜひドイツ型の解決に向けて今後も運動を続けていきたいと思っています。 (聞き手:王小燕)

【プロフィール】
田中 宏(たなか ひろし)さん
1937年岡山県生まれ
一橋大学社会学部名誉教授
中国人強制連行を考える会(代表)
シベリア特措法の国籍差別をなくす連絡会議(議長)
専門は日本アジア関係史、ポスト植民地問題、在日外国人問題、日本の戦争賠償と戦後補償。
主な著書に「在日外国人新版」(岩波書店)、「遺族と戦後」(共著・岩波書店)など。

【背景】
<中国人強制連行>
 1946年、日本外務省管理局がまとめた、『華人労務者就労事情調査報告書』によると、1943年4月から45年6月までの間に、中国から合計3万8935人が日本に連行され、日本全土135の事業所で重労働をさせられていました。このうち、6830人が生命を失っており、死亡率は17.5%になります。花岡事件のあった鹿島組(現・鹿島建設)の花岡出張所の場合は、986人のうち418人(42%)が生命を落としています。

<花岡和解の歩み>
1985年6月  大館市、花岡事件殉難烈士慰霊之碑の前で初の慰霊祭を行う
1989年12月 花岡殉難者連誼会(準備会)から鹿島建設に3項目要求の公開書簡
      (① 公式謝罪、②記念館の設置、③一人500万円の賠償)
1990年6月   両者の面会が東京で実現し、鹿島側から加害の事実と責任を認める
      「共同発表」が行われる
1995年6月   中国人被害者側は、鹿島側は「共同発表」後の交渉に誠意が見られ
       ないとし、東京地裁に損害賠償を求めて提訴
1997年12月  東京地裁は時効を理由に原告側の敗訴と判決。原告は東京高裁に告訴
1999年9月  東京高裁より和解勧告が出される。同年12月、中国紅十字会が信託人と
       して、原告11人だけでなく、花岡に連行された986人の全体解決を目指す
       和解に立ち入る
2000年11月 20回にわたる法廷調停の後、11人の原告と鹿島建設との和解が成立、
      鹿島が被害者全員を対象とした「花岡平和友好基金」に5億円を積み
       立てることで決着

<西松和解>
 1944年、広島県の西松建設安野事業所には山東省から360人を強制連行され、発電所の建設工事に従事させ、29人が死亡しました。
 1992年、安野事業所の強制労働被害者に生存者がいることが分かり、93年から謝罪と補償、記念館の建設等を求めて西松と交渉しましたが決裂しました。98年1月広島地方裁判所に提訴し、その後、2004年7月、広島高等裁判所にて全面勝訴しました。
 2009年10月23日、西松建設と中国人被害者が和解しました。和解内容は、(1)強制連行・強制労働の事実を認め、企業として歴史的責任を認識し、深甚なる謝罪の意を表する。(2)強制労働させられた被害者360名に対し、2億5千万円を支払う。(3)この金額で基金を設立し被害補償のほか記念碑の建立、未判明者の調査などの諸費用に当てる。
 一方、同じく戦争末期、新潟県の西松建設信濃川事業所には183人の中国人が水力発電所の建設工事に強制連行され、過酷な労働を強いられ、わずか半年余りの期間に12名の死亡者を出しました。
 信濃川裁判は2007年、最高裁で上告を棄却されましたが、2010年4月、中国人遺族と西松建設が裁判外での和解が東京簡裁で成立し、1億2800万円の賠償金が支払われました。

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