Vol8. 【旅と夢】マルコポーロに惹かれて(上)
自転車で『東方見聞録』の旅を
ゲスト:世界初マルコポーロのたどった道を自転車で完走した 影山淳さん
影山さんの「マルコポーロ計画」の中国での連絡人、翻訳家・李建華さん
8月20日、北京で日本人による新しい世界記録が誕生しました。
静岡県掛川(かけがわ)在住の登山家、63歳の影山淳さんが8年かけて、13世紀のイタリア商人・マルコポーロの『東方見聞録』の道を自転車で走破しました。
20日午後2時、黄色いシャツに緑の文字で「上海Expo」と書かれた白い帽子をかぶった影山さんは、重そうな荷物を載せた自転車で、北京・元大都遺跡公園にゴールインし、8年間、計1万5千キロの道のりを自転車で完走しました。
道中、標高5000メートル近い峠、地表温度が50度を超える灼熱の砂漠、吹雪よりも怖い砂あらし、そして、戦火が途絶えないアフガニスタンなどを通過した、艱難辛苦に満ちた旅でした。
◆写真は8月20日、ゴールインした時の風景。日本からの応援団30人ほどが出迎えていました↓◆
何故、このような苦行とも言うべき旅を敢行しようと思ったのか、
たいへんな道中を無事乗り越え、ゴールした今の心境は?
時空を超えた今回の旅での見聞などについて、本日は気ままな"談談"(おしゃべり)を通して、ご紹介できればと思っています。
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自称「日本のマルコポーロ」の影山淳さんが初めてマルコポーロに関する書物を読んだのは高校時代、17歳の時のことでした。『東方見聞録』の旅を始めたマルコポーロとちょうど同じ年のことでした。
1972年、25歳の青年・影山淳さんは、ローマからカトマンズまでの15000キロを車で走破しました。全行程を3ヶ月で完走するという効率良い旅でした。しかし、一日平均30キロしか移動しない駱駝のキャラバンに比べると、1日500キロも走ってしまう車のスピードでは、「人々の暮らしや地形」が印象に残らず、欲求不満がたまっていました。それ以来、人力でマルコ・ポーロの道をもういちど歩こうという気持ちを25年間暖め続けてきました。
様々な準備をした中で、何より時間をかけたのは、路線の選定でした。144種類ある『東方見聞録』の中から、影山さんなりに資料を集め、学者の様々な説に耳を傾けて、その上で、「これが一番信憑性が高そう」というコースを選びました。
『東方見聞録』は中国のことを綿密に紹介していたにもかかわらず、「纏足や万里の長城、お茶の記述がまったく見えない」ことから、マルコポーロがほんとに中国に来たのかを疑う説もあります。これに対して、700年余り後の「日本のマルコポーロ」は自ら実証、体験の旅に出ました。
果たして、どのような発見や収穫があったのでしょうか。
やり出したことは最後までやり通す。スポンサーに頼らず、すべて自力で夢に向かってひたすら奔走してきました。
マルコ・ポーロに惹かれた思いについて、目標達成後の満ち足りた声で語ってくれました。
影山淳さんのホームページ:http://www4.tokai.or.jp/junkage/
(つばめ)
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