「中国展開は間違っていない」
「アジアの価値観を育てよう」
おしゃれへの感心が日ごとに高まる中国の女性たち。「資生堂」の名は全国に広く知れ渡り、デパートのコーナーは夢を売る商品でいっぱいです。いまでは、同社の海外の売り上げの2割を中国市場が占めるまでになりました。
その旗振り役を勤めてきたのが名誉会長の福原義春さん。日本で新聞に掲載されたものをまとめた『ぼくの複線人生』の中国語訳が出版されたのを機に、北京にやって来ました。
中国市場になぜ目をつけたのか。中国との付き合いに秘策があるのか、聞いてみました。
■この度は、福原さんの自伝の中国での翻訳、おめでとうございます。
ありがとうございます。中国で出版された私の初めての本になります。とてもうれしいです。
■1980年代初頭、資生堂は他社よりもいち早く中国展開に踏み切りましたが…
当時、私は資生堂の国際部長でした。北京に来てみると、町は人民服で溢れているし、デパートに行くと、はかり売りのビニールの袋にクリームが入っているという状況でした。アジアのほかの地域に比べて、もっともっと人々の生活が向上するではないか、それに、私たちがお手伝いできるじゃないかと思っていました。
その後、中国第一軽工業局と相談して、少しずつ実績を積み重ねて、今日まで来ました。ずいぶん長い道のりでした。現在、中国の方々が喜んでくれているのを見て、当時、中国展開に踏み切って本当に良かったなと思っています。
■これまで、様々な困難もあったのではと思いますが…
最初の頃、北京に来ても、泊まるところがありませんでした。ホテルは取れなかったので、民族文化宮というアーティスト・イン・レジデンスで宿泊することになりました。そこから始まったわけです。
その頃、中国では化粧品に関する投資がまったく行われておらず、ライバル製品もありませんでした。それより、技術レベルをどうやって上げていけばよいか、悪戦苦闘していました。それに対して、第一軽工業局の方たちも積極的に、自信をもって応援してくださいましたし…
■資生堂の名前の由来は、中国の古典『易経』からと聞いていますが、早期中国進出を決めたことと関連しますか?
私どもの創業者は1872年に、薬局として資生堂を開きましたが、そのころ、日本の社会的な規範や人々の考えは、中国から学んできた儒教精神にかなり頼っていました。資生堂の名前は、『易経』の中の一節、「至哉坤元 万物資生」からとったわけですが、なんと中国に来てみたら、皆さんその名前がわかり易いといいます。これは、当時、名づけた人は想像だにしなかったことでしょうか。現代的に言えば、生活を助けるという意味もあるし、「堂」で薬局という意味もあるし。そのままの名前で使えるということになって、私たちが自信が持てました。
日本の文化や文明は、中国によりどころがたいへん大きいので、私たちはそれに対して、恩返しすべきということを考え、この苦労の多い仕事を始めたわけです。
■2002年、福原さんには「井戸を掘った人」として、北京市から「栄誉市民」の称号を授かりました。
北京に進出して長い年月がかかりましたが、皆さんに喜んでいただけ、それが北京市名誉市民の称号になったかと思います。そのため、2008年の北京五輪の開会式に、「北京市名誉市民」としてたった一人、日本から招待されました。とても嬉しかったです。その時、北京市の郭金龍市長に「すばらしい開会式で、よかったですね」と話したら、「この成功は名誉市民のあなたたちの名誉でもある」と言われて、余計に感激しました。
私自身は、別に井戸を掘った意識がありませんが、ただ、北京市の経済特区にいち早く工場をひらいて、良い商品を多くの人に提供したこと、または、流通システムの考え方を中国の経済社会に導入したこともあって、それが評価されたのかと思います。
■中国での事業展開、そして、中国人とのコミュニケートから、今後の中日両国、および両国の人々の付き合いに生かせるコツは?
お互いに忍耐が必要なのです。長い交渉があっても仕方がないことを覚悟する必要があります。交渉が長引くと、どちらかが忍耐がなくなってしまいますが、それが私たちの場合、第一軽工業局側も資生堂側も互いにたどりつく目標があるわけなので、忍耐強く付き合ってきました。大きな目的に達するため、常に、何をしようかと考えながら行動すればこそ、成功できると思います。
■最後に、新中国60周年へのメッセージをお願いいたします。
これから先は、世界の決定的な要素として、「大アジア地域」というような観念が出てくるかと思います。アジアは文化的にも思想的にも連帯が強くなるわけですが、その中で、各国の人が連携して、「アジアの考え」として、世界で大きな影響を持つように育てることが可能だと思います。その時に、やっぱりリードする大きな要因が中国なんですよね。そういう意味で、中国が世界情勢をリードするような新しいものの考えを発信したり、行動したりすることが望ましいと思います。
そのために、もちろん日本が協力しなければならないのです。何せ、こんなに近い国同士ですから、影響しあうのが当然です。日本は中国がどうなっていくのか見ているし、中国はその期待に答えられる行動をしてほしいですね。(聞き手:王小燕)
【プロフィール】
福原義春(ふくはら よしはる)さん
資生堂名誉会長
1931年 東京生まれ
慶應義塾大学経済学部卒業と同時に資生堂入社。
米国法人社長を経て、商品開発部長、取締役外国部長を歴任。
フランス、ドイツに現地法人を設立、中国に進出するなど海外市場拡大戦略を推進。
1987年第10代社長に就任。97年会長。2001年名誉会長。
東京都写真美術館館長他公職多数。趣味は写真、洋蘭栽培。(『ぼくの複線人生』から)
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