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大野清司さんのテレビ人生~その① 何故テレビだったのか?

2014-07-22 21:18:43     cri    

 聞き手:王小燕

 月1回のシリーズ企画の1回めです。CRI元同僚で、この4月に北京放送での仕事にピリオドを打ったベテランテレビマンの大野清司さんにお話を聞きます。テーマはずばり、「何故テレビを仕事に選んだのか」です。

 中国だと、「共和国と同じ年に生まれた世代」になりますが、日本では「団塊の世代」である大野さん。東京下町の貸本屋さんの家に生まれ。小学校2年の頃から家に初めてテレビが入り、小学校4年の時に、学校の窓から東京タワーが少しずつ高くなっていく風景を眺めながら過ごしていたと言います。東京五輪を間近に控え、「日本全体が上っていく傾向」にあり、「三丁目の夕日」の世界そのものの中で育ってきました。

 小学校時代から、テレビを見ながら育った大野少年は、映画や漫画も大好きでした。家の商売柄、読書が大好きで、『冒険王』、『漫画王』など漫画雑誌の大のファンでもありました。毎週、親からもらった100円のお小遣いはほとんどすべて映画とコミック代に使い、毎週のように、家から電車に乗って浅草まで行き、三本立ての映画を子ども料金の30円で見ていたそうですが、その時に見た映画とは?

 このような大野さんは少年時代からあこがれていた職業は、テレビのエンタメ番組を作る仕事でした。しかし、その後、何故ノンフィクションの道を進んだのでしょうか。テレビ制作はフィルムからビデオテープに変わるタイミングでした。この時、テレビ業界の新人になった大野さんですが、そこで身をもって体験したテレビ制作の変化とは何か?

 さて、大野新人は入社してテレビ番組のADになったものの、「蹴飛ばされて、暗い日々が続いて」いました。そうした中、転機はどうやって訪れたのか。先輩ディレクターからどのように叱咤され、または鍛えられてきたのか。日本のテレビマンの成長を支えたここでしか聞けない裏話が盛りだくさんです。どうぞお聞き逃しなく。  

 【プロフィール】

 大野清司(おおの きよし)さん

 1949年、東京都生まれ。
 東京大学卒業後、1974年に株式会社TBS映画社(現社名:TBS VISION)に入社。主にドキュメンターリ番組のディレクター、プロデューサーとして番組制作に係わる。特に、1979年からは海外取材番組を担当し、世界60ヵ国を取材。

 [主な担当作品]

 ・『美をもとめて』シリーズ、『世界の子供たち』シリーズ
 ・『世界めぐり愛』シリーズ、『世界遺産』シリーズ
 ・『遥かなるアンコールワット』、映画『敦煌』公式記録VTR
 ・中日共同制作『万里の長城』(日本TBS&中国CCTV)
 ・TBS開局40周年記念番組『日本海大紀行』
 ・『緒形拳:シルクロード列車の旅』
                                                               その他、多数

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