(中原の「つぶやき」コーナーは、その半生を北京で過ごした一日本人のちょっとした物語となっています)
最近地下鉄6号線が開通し、計16本の路線が運行している北京の地下鉄。この20年で、北京は交通事情も大きく変わった。
1993年当時、現在16本ある地下鉄路線は、現在2号線と呼ばれている環状路線(当時はこの路線が1号線と呼ばれていた)が1本のみだったし、6本ある環状線は2本しかなかった。市民の足は、もっぱら私たちの想像にある「人民自転車」か数角(日本円10円未満)で乗れるバスだったのだ。そのほかに活躍していたのがミニバス。こちらは公共バスより少しお高い1元~。大きな2連のバスとは違い、小回りがきく上に路線上であれば停留所に関係なく乗り降りができたので学生の頃は重宝していたが、国の運営ではなくバスごとに運営していたようで、客が満員にならないと出発しないという難点があった。
現在では公共バスにはエアコンがつき、半数が1両バスに切り替えられた。ミニバスは長距離以外撤廃され、街では見かけなくなった。
そして外国人の足として最も利用されるのがタクシーだと思うが、こちらも目を見張る変わりようだ。1993年当時のタクシーはほとんどが黄色い車体のミニバンで、「1元タクシー」と呼ばれ10キロまでは10元、その後1キロごとに1元プラスされるという激安タクシーだったのだ。私はこの1元タクシーが大好きだった。安い事もさることながら、運転手さんが驚くほどおしゃべりだったのだ。気質的には日本の"トラック野郎"と言った感じ。正直、私の中国語の会話能力はほぼ、このタクシーの運ちゃんたちに教わったといっても過言ではない。その後タクシーは当時少なかったシャレードがいつの間にか主流となり、あっという間に現在のヒュンダイ車に変わって行った。値段は1元タクシーの倍である。
今やタクシーは貧乏外国人よりも中国人の利用客が圧倒的に多く、あちこちで争奪戦となっている。そのくらい国民のタクシー利用が増えたという事だ。90年代の中国と言えば「天安門広場+人民服+人民自転車」が外国人のイメージだったと思うが、今や中国のシンボルだった自転車もそれほど走っていない。1/3はマイカーを持つようになり、1/3は電気自転車にシフトした(ように見える)。1993年当時と比べると、外国人と中国人の立場は逆転したのだな、と思わせるのが「北京の交通事情」なのだ。
~つづく~
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