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日本人スタッフのつぶやき164- 7月 枇杷膏的記憶・始(2)

2012-07-02 10:44:55     cri    

 (中原の「つぶやき」コーナーはここ数ヶ月、その半生を北京で過ごした一日本人のちょっとした物語となっています)

 そんなこんなで、税関の向こうの北京に足を踏み入れるその一歩手前ですでに、このお役所的国営企業や大陸的自己主張の民に主導権を握られてしまった私たちだったわけだが、1990年代初頭の中国は、得てしてそうした「お役所的国営企業」や「自己主張の民」にあふれた時代だった。

 1989年に中断した改革開放が再開したのが1992年、私が北京に足を踏み入れた1993年とは、いわばエンストしたマニュアル車のエンジンをぎゅるるぎゅるるとかけなおしている、そんな時代だったのだ。

 格差是正と経済改革に着手したことから経済成長は一気に加速したものの、経済発展の速度に社会や国民が追いつけず、そこに目をつけた先進国が次々と押し寄せ始めた。

 2001年には中国が「入世」、「入世界」と表現するWTOへの加盟を果たすが、改革開放の再開からこの「入世」までの9年間は、中国国民も国境の外からここに足を踏み入れた外国人もまた、眠れる獅子と言われた中国の目覚めにやや戸惑いながら歩みを進めていたのだった。(やっとまともに中国を語った気がする筆者である)。

 もちろんこの9年間は、外国人の人口も爆発的に増える前だった。そのため、外国人はいわば「特権階級」的(「腫物的」とも言う)な扱いを受け、特に数少ない外国人の「子供」はそれこそ道行く人が例に漏れず物珍しげに好奇の目を向けるほど、希少価値であった。

 見た目が中国人と変わらない日本人でもそうだったのだから、金髪で青いお目目の白人やファンキーアフロな黒人なんかはもう、まるでスターかなんかのような視線を浴びていたことは想像に易いだろう。

 まあ、実際のところ、当時中国に長期滞在していた外国人はほとんどが政府や大手企業から派遣されたエリートばかりで、そもそもが特権階級だといえば確かにそうでもあったのだけど。(その中において我が家のように個人で中国に長期滞在する者は、中国の日本人社会では当時、やや特異な存在として捉えられていたようだった)。

 さて、ここでやっと税関を抜けて空港のロビーにたどり着いた私たちなのだが、まさか次にここから祖国へと向かうのが4年も先の話になるなんて事は幾許も想像せず、異国というワンダーランドに圧倒されつつも、私たちはほのかな胸の高鳴りと共に北京の地を踏みしめたのだった(まだロビーだけど)。

 (この物語はフィクションです。独断と偏見的解釈もあくまでストーリーとしてお楽しみください)

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