「地震宝宝」は、四川大地震が起きてからちょうど1年経った今、報道やネットでよく使われています。去年の地震前後に生まれた赤ちゃん、また、この地震がきっかけとなって生を受けた赤ちゃんのことを指しています。
去年5月12日、地震が起きた瞬間、被災地の都江堰人民病院で3人の看護師が数分内で、新生児室にいた新生児8人全員を病院の広場に移しました。そして親が来るまで見守り続けていました。当時、この8人の「宝宝」は、周囲が大混乱にあるにもかかわらず、地面に敷かれた布団の上でぐっすり眠り続けていました。そして今年、この「宝宝」たちは1歳になりました。12日、そのうちの5人が親とともに、恩人である3人の看護師と再会し、よちよち歩きを始めようとする姿を見せました。
什邡市の羅漢寺の「羅漢宝宝」
「地震宝宝」には108名の「羅漢宝宝」がいます。この「羅漢宝宝」とは、当時、被災地の什邡市の羅漢寺の境内で生まれた赤ちゃんのことです。この羅漢寺は1000年の歴史があり、地元の什邡市第二人民病院と什邡市婦幼保健院にも近かったことから、地震発生後、羅漢寺では入院中の妊婦や赤ちゃんを受け入れました。食堂の机や椅子が臨時の手術台、箒が点滴をかける台、懐中電灯が照明になりました。地震発生当日の夕方から赤ちゃんが生まれ始めました。それから8月7日午後、被災者たちがお寺を離れるまでのおよそ30日間、ここで108名の赤ちゃんが生まれました。このことから、この羅漢寺で生まれた赤ちゃんは「羅漢宝宝」と呼ばれることになりました。その後も伝統的なお正月・春節などになると、「羅漢宝宝」を連れて感謝に来る親が絶えません。5月13日、108名の「地震宝宝」がそろい、地元の小学校で羅漢寺の僧侶とともに1歳の誕生日を祝いました。
再び妊娠したお母さん
さらに、お兄さんやお姉さんの代わりに生まれる「地震宝宝」もいます。大地震で、四川省だけで8000世帯が子供をなくしました。多くの家族は1人っ子です。わが子をなくした親とその家族は毎日苦しみ続けていました。家族の心の痛みを癒し、一日も早く立ち直ってもらおうと、四川省政府はもう1人子供を生むことを勧めました。現在、およそ130人が妊娠していて、そのうち最年少で32歳、最高齢で43歳です。
邹小琴さんもその1人です。今、32歳で、妊娠3カ月です。地震で6歳の娘を亡くしました。その後しばらく、娘が自分のことを呼ぶ夢を見続けていました。「ママ」という子供の声を聞くだけで涙が止まりませんでした。邹小琴さんの夫は、電話が鳴る音やドアが開く音を聞くことさえ怖がっていました。再び妊娠してから、邹小琴さん夫婦と、2人の親も少しずつ落ち着き、明るさを取り戻しつつあると邹さんは話していました。
「元気な子が生まれてほしいです。そして娘と同じようにかわいい子になってほしいです」と邹小琴さん夫婦は楽しみにしています。
なお「地震宝宝」には、「震男、震生、小延」のように地震にちなんだが名前が多いということです。(朱丹陽)
| ||||
© China Radio International.CRI. All Rights Reserved. 16A Shijingshan Road, Beijing, China. 100040 |