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テレサ・テンは、中国台湾出身の歌手です。1970年代にデビューして以来、中国台湾のみならず中国大陸や日本、東南アジアの中華圏で絶大な人気を誇り、「アジアの歌姫」と呼ばれました。
今年はテレサテンが亡くなってから19回忌にあたります。中国台湾や大陸の各地でさまざまなイベントが開かれ、この中華圏の最も偉大な歌手を偲びます。今回の中国メロディーはテレサ・テンの歌をご紹介しましょう。
天才少女
テレサテンは1953年、中国台湾の軍人の家庭に生まれました。10歳の時、ラジオ局主催の歌唱コンテストで優勝。天才少女として注目を集めました。
14歳の時に「採紅菱(菱を摘む)」という曲でレコード会社歌唱コンクールの最優秀賞に輝き、その後、プロ歌手としてデビューします。この時期、彼女の歌声には子供らしい声がまだ残り、すごく明るいけれど、まろやかで潤いのある、彼女の特徴はまだありません。
小唄の女王
1971年、18歳になったテレサテンはレコード会社と契約し、5年間で22枚のアルバムをリリースしました。声変わりをした彼女の歌声は以前より柔らかく美しくなりました。
また、多くの小唄を歌い、幅広い年齢層に親しまれ、「小唄の女王」と讃えられました。特に「路辺的野花不要採(野の花を摘まないで)」という曲は、彼女が歌った小唄の代表曲となり、今でも広く歌われています。
10億人の心を癒した音楽
1970年代末から1980年代初めにかけて、テレサ・テンの歌声が突如中国大陸に伝わると一大センセーションを巻き起こしました。当時、中国大陸は10年にわたる文化大革命を終えたばかり。「文化砂漠」と呼ばれた時期でした。彼女の甘く、叙情的な歌声は清らかなせせらぎのように十億人の中国人の心を癒しました。
彼女の歌の中に感じる中国伝統文化の味わいが多くの人々を魅了しました。優しさ、憂い、温もりが感じられました。テレサテンの代表作「小城故事(小さな町の物語)」という曲は言葉少なに、小さな町の温かい人情や美しい風景を十分に感じさせてくれます。音楽評論家は彼女の歌声をこう記しています。「テレサ・テンの歌を聴くと、まるで清新な水墨画を楽しんでいるようだ」
すべての感情を歌で伝える
テレサ・テンは何故、中国全土を感動させたのでしょう。何故、こうも大陸の歌手に影響を与えたのでしょう。彼女はかつて、こう話しました。「私はすべての感情、フィーリングを歌声で表現しています。 内なる心、喜びや悲しみ、寂しさをすべて歌声で表現したいのです」
番組の中でお送りした曲
1曲目~ 採紅菱(菱を摘む)
歌は元々江蘇省の民謡です。6月の江南水郷は青々とした菱の葉があちこちの川面を埋め尽くします。菱を摘むのは若い女の子たちです。曲は女の子が揺れる小舟に乗り、恋歌を唄う情景を再現しています。
歌詞:
私と彼
船を漕いで菱を摘む
愛し合う二人
まるで菱の二つの角のよう
2曲目~ 路辺的野花不要採(野の花を摘まないで)
この唄はテレサ・テンが歌った小唄の代表曲です。曲は春先に出稼ぎに向かう愛する人を娘が見送りながら「道に咲く野の花は摘まないように」と願います。野の花をほかの女性に例え、「野の花を摘まないで」と、浮気を心配する女心を歌っています。
歌詞
もうすぐ村の外れ 別れの前に
一つだけ私の言う事を守ってね
百花繚乱の季節だけど
道に咲く野の花は摘まないでね
私の想い 私の愛を覚えていて
私は毎日待ちわびているのよ
あなたの帰りを待っているわ
絶対に忘れないでね
3曲目~ 小城故事(小町の物語)
この曲は短い歌詞の中で、小さな町の温かい人情や美しい風景を十分に感じさせてくれます。
歌詞
小さな町だけど
喜びと楽しみに満ち溢れている
もし貴方がこの町にいらしたら
感動の日々が続くでしょう
見れば 絵のような景色
聞けば 歌のような旋律
この地にある「真・善・美」
人生のすべてが
ここにはあります
どうぞ 貴方も友と一緒に
私の町へ 来て下さい
4曲目~ 又見炊煙(かまどの煙)
この歌は日本の童謡「里の秋」を中国語で唄ったものです。日本語の歌詞は終戦直後の世相を表していますが、中国語バージョンは恋人への思いを表しました。
歌詞
かまどから煙が立ち上る
日暮れの大地を覆う
煙に尋ねたい あなたはどこへ行くの
黄昏の夕日はまるで絵や詩のように美しい
揺れる煙、私の心のよう
あなたへの想いは霞のように彩られ
私の夢の中へ
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