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彭麗媛さんは中国人なら誰でも知っている国民的スターです。人民解放軍総政治部歌舞団の団長を務めています。ここ数年は、彼女は音楽の舞台から少しずつ遠ざかり、習近平国家主席の夫人として、外交の舞台で輝いています。今回の中国メロディーは、引き続き彭麗媛さんの歌を紹介しました。
人民解放軍の歌姫
80年代初頭、彭麗媛さんは人気歌手として中国全土で知られ、特に人民解放軍で高い人気を得て、人民解放軍の歌姫と讃えられています。同時に、普通では予想がつかない使命を背負います。
人民解放軍の文芸兵として彼女は兵舎など、現場によく慰問に赴きます。1985年の中秋節、ベトナムと辺境衝突が起きる中、命令を受け、彭麗媛さんは慰問団と共に最前線に向かい、兵士のための慰問公演を行いました。砲火や銃の音を初めて聞き、彼女はこう思いました。「自分はまだこんなに若くて、彼氏もいないのに、弾に当たったら、命がもう終わるかと思った。ただ、前線の兵士たちは、私を見ると、みんな感激し涙を流しました。それを見て、やはりすべての犠牲は価値あるものだ」と。
互いに「一目ぼれ」
1986年、24歳の彭麗媛さんはすでに国民的な歌手となり、友人の熱心な勧めで、当時、福建省アモイの副市長だった習近平氏とお見合いしました。習近平氏との出会いを彼女は次のように振り返りっています。「最初は、あまり気は進まなかったが会うだけなら、ということで彼と会いました。でも、こう思いました。『彼こそ私の待っていた男性なのかしら。純粋だし、それに考えが深い』一方、習近平氏も『会って40分で、生涯の伴侶だと決めた』と語っています。お互い一目ぼれだったということでしょうか。翌年の9月、彭麗媛さんが飛行機で北京からアモイへ。二人は簡単な結婚式を行いました。
愛ある支援
結婚した後、彭麗媛さんと習近平氏は、北京と福建で、すれ違いの別居生活が続き、互いに会いに行っても、すぐとんぼ返りという日々でした。ある日、習近平氏が北京へ戻り、一緒に過ごしていたところ、軍隊からいきなり通知があり、彭麗媛さんに出演任務です。せっかく北京に来ていた習近平氏ですが、妻の彭麗媛さんに「大丈夫ですよ。いずれ、団欒できますよ。私のためにあなたが舞台を離れたら、あまりにも自己中心的ではないですか」と話しました。
習近平氏の支持を得て、彭麗媛さんは舞台でさらに光を放ちます。1990年、彼女は北京、上海、広州、シンガポールで単独コンサートを行い、大成功を収めました。
オペラでも開花
2000年に入り、彭麗媛さんはオペラの舞台も素晴らしい才能を開花させます。2005年に彭麗媛さんが主演したオペラ「木蘭詩篇」は、国内で好評を博し、米ニューヨークのリンカーン・センター、オーストリアのウィーン国立歌劇場でも上演され、国際的な名声を得ました。
2009年11月、オペラ「木蘭詩篇」が東京で上演され、日本の皇族も観賞しました。カーテンコールにこたえた際、「木蘭詩篇」の芸術総監督を務める彭麗媛さんが、日本の有名な歌手、芹洋子さんと「四季の歌」を一緒に歌い、会場はさらに盛り上がったといいます。
◎番組の中でお送りした曲◎
1曲目~「珠穆朗玛(チョモランマ)」
チョモランマはヒマラヤ山脈にある世界の最高峰の山で、「エベレスト」のチベット語名です。チョモは女神の意味、ランマは3番目の意味を表しています。
チョモランマ、チョモランマ
貴方は青空の下に聳え立ち、
貴方は愛の陽光の下ゴーサンの花を育てる
私は弦子を引いて、
心の歌を歌いたい
あなたを愛する
心の中のチョモランマ
※歌詞の中に出る「弦子」はチベット族の民族楽器です。
2曲目~「我有一段情(昔の愛)」
唄は1940年代に流行した懐かしい曲です。
昔の愛よ
だれかに
あの思いを打ち明けようか
あの人よ
彼が行ってから
まったく消息が知れない
貴方よ
まさか心変わり?
どうして便りが途絶える
3曲目~「嘎达梅林(ガーダー・メイリン)」
ガーダー・メイリンは蒙古族の英雄で、この歌は蒙古族の民謡をモチーフにしたものです。
オオカリよ
南の揚子江から飛んできた
ガーダー・メイリンよ
蒙古族の人達の大地を守る英雄だ
4曲目~「木蘭詩篇」
この唄はオペラ「木蘭詩篇」の一部です。このオペラは古代の民謡「木蘭辞」と明・清時代の伝説を題材にしたものです。ヒロインは故郷を守るため、男性に扮し、病に伏せる父の代わりに従軍するという物語です。作品には平和と幸福な生活への祈り、不戦への誓い、という恒久平和のメッセージが込められています。
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