次に、中国人なら誰もが知っている関雎(かんしょ)をご紹介したいと思います。全部で5章からなりますが、その第1章だけご紹介します。興味がありましたら、ぜひ他の章も調べて見てくださいね。
関関雎鳩 関関たる雎鳩(しょきゅう)は、
在河之洲 河の洲に在り。
窈窕淑女 窈窕(ようちょう)たる淑女は、
君子好逑 君子の好(よ)き逑(つれあい)なり。
関関は擬声語で、鳥の和らいだ鳴き声です。雎鳩(しょきゅう)はメスとオスの仲がとてもよい水鳥、ミサゴです。夫婦仲の良いことを表します。「窈窕」は女性が奥ゆかしく、上品なさま。 和やかに鳴きあうミサゴの夫婦が川の中州にいる。窈窕たる淑女は、つまり、あなたがミサゴの妻のように、君子(僕のようないい男)の妻とするに相応しいものだ。という意味です。この詩は男性が女性にプロポーズするとき歌うものですから、今でもよく引用されています。孔子はこの詩を次のように評価しました。『子日、関雎楽而不淫、哀而不傷』(子(し)日(のたま)わく、関雎は楽しみて淫(いん)せず、哀(かな)しみて傷(やぶ)らず)』。孔子は言いました。関雎という詩は楽しいが取り乱すほどでなく、哀愁を帯びているが心を傷めるほどでもない、誠に調和の取れたよい歌です。
続いて、逢引を楽しむ男女の歌「静女」の第1章をご紹介します。「静女其姝、俟我於城隅。愛而不見、掻首踟躕(CHICHU)。」静かなる女(むすめ)の其れ姝(かおよ)きが、我を城の隅にて俟つ。隠れて見えず。首を掻いて踟蹰(ちちゅう)す。美しくて上品な彼女が、お城の隅で待っていると言ってくれました。そこに行って見ると、彼女が隠れていて姿が見えず、僕は頭を掻いてたたずむだけです。とても単純で分かりやすい歌ですね。情景が目に浮かんで恋に落ちた男性の気持ちがよく表れているように思います。
「詩経」には甘美な両思いや幸せな結婚を描いた詩もあるし、悲劇的な恋や愛の顛末を描いたものもあります。その代表的な一首をご紹介します。
「氓之蚩蚩、抱布貿絲。匪來貿絲、來即我謀。送子涉淇、至於頓丘。匪我愆期、子無良媒。將子無怒、秋以為期」
流れ者のあなた、一見誠実そうです。わたしの村に来て糸を売っているあなたは、実は糸を売るのが目的ではなく、わたしを口説くのが目的だったんですね、あなたに従って淇水を渡り、頓丘に登りました。あなたの気持ちにすぐ応えないわけではありませんが、あなたには手ごろな仲人がいません、怒らないでくださいね、秋まで待ってください。
この詩はずいぶん長いです。全体はこの6倍あります。女性は一見誠実そうな男に口説かされました。その男にひと目ぼれし、男と会ったりして、心を許しましたが、媒酌人がいないのでちょっと悩んでいました。女性はずっと男が迎えに来るのを待っていました。でも、その男はなかなか来ないです。待ちに待った結果、ようやくその男は来ました。でも、結局媒酌人はいませんでした。それでも、女性は男についていきました。結婚して3年、男の家でずっと貧しい暮らしを送っていました。しかも、この男は心が変わって、女性を雑に扱っていました。男に裏切られた女性は、娘だった頃の自分の軽率さを思い出し、心が痛むばかりです。
この女性はこのように嘆きました。「士之耽兮、猶可説也。女之耽兮、不可説也」男性は恋に溺れたら、まだ抜け出すことができる。しかし、女性は恋に溺れたら、もう抜け出すことができない。だから男に溺れるなと反省しましたね。
この女性の結婚の失敗は、いくつかの要素があると思います。①男の素性が分からないままついていってしまったこと。一見誠実そうに見えますが、実際どんな性格なのかまだ分からないのに、ひたすら恋してしまいました。②今なら、自由恋愛が一般的ですが、昔の中国社会では、媒酌人のない結婚は、祝福されないものです。悪い男に出会ったのはかわいそうですが、そんな男に心を許したのは、女性自身の責任だと思います。こんな風に2500年も前の詩集「詩経」から、我々はいっぱい教訓を汲み取ることができますね。
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