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第6弾:桃源郷

2011-07-30 14:35:45     cri    


























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 「桃源郷」は、今からおよそ1600年ぐらい前に、中国の晋の時代の詩人、陶淵明が「桃花源記」に描いた理想郷です。詩人、陶淵明はその詩、「桃花源記」ならびに序の中で、桃の花に囲まれた別世界を描きました。現在では、桃花源記の詩より、その序文のほうがよく読まれています。

 「桃源郷」という言葉は、日本でもよく使われています。でも、その出典が中国の詩だということを知っている人はどのくらいいるでしょうか?中国では、中学二年生の国語の教科書に載り、暗記を要求されるので、広く知られています。  

 では、ウィキペディアの訳文を引用して、その内容をご紹介しましょう。

 晋の太元年間(376年 - 396年)、武陵(湖南省)に漁師の男がいた。ある日、山奥へ谷川に沿って船を漕いで遡って行った。どこまで行ったか分からないくらい上流まで来ると、突如、桃の木だけが生え、桃の花が一面に咲き乱れる林が両岸に広がった。その香り、美しさ、花びらが舞う様子に心を魅かれた。

 男は、その水源を探ろうと、さらに桃の花の中を遡り、ついにその水源に行き当たった。そこは山になっていて、山腹に人が一人通り抜けられるかどうかの穴があった。その穴の奥から光が見えたので、男は穴の中に入っていった。

 穴を抜けると、驚いたことに山の反対側は広い平野になっていたのだ。そこは家も田畑も池も、桑畑もみな立派で美しいところだった。行き交う人々は異国人のような装いで、みな微笑みを絶やさず働いていた。

 男をみた村人たちは驚いて、話しかけてきた。男が自分は武陵から来た漁師だというとみなびっくりして、家に迎え入れて、たいそうなご馳走を振舞ったくれた。村人たちは男にあれこれと「外の世界」の事を尋ねた。そして村人たちが言うには、彼らは秦の時代の戦乱を避け、家族や村ごと逃げた末、この山奥の誰もいない土地を探し当てた。そして、ここを開拓し、決して外に出ず、一切の外界との関わりを絶って当時の風習のまま暮らしていると言う。彼らは「今は誰が皇帝で、何と言うの時代なのですか」と質問してきた。驚いたことに、ここの人たちは秦が滅んで漢ができたことすら知らなかったのだ。ましてやその後の三国時代の戦乱や今の時代が晋だと言うことも知らなかった。

 男は、数日間、村の家々を回り、ごちそうになりながら外の世界のあれこれを知る限りを話した。 いよいよ自分の家に帰ることにして別れを告げた。村人たちは「ここのことはあまり外の世界では話さないでほしい」と言って男を見送った。穴から出た男は自分の船を見つけ、目印をつけながら川を下って家に戻り、村人を裏切ってこの話を役人に伝えた。役人は捜索隊を出し、目印に沿って川を遡ったが、ついにあの村の入り口である水源も桃の林も見付けることはできなかった。その後多くの文人・学者らが行こうとしたが、誰もたどり着くことはできなかった。

 「桃源郷」には、秦の末期の戦乱から逃れた人々が、山に囲まれたきれいなところで、数百年、外の世界と関わりを断って、自給自足の生活を送っていたことが描かれているです。作者の陶淵明は、4世紀半ばから5世紀初頭、すなわち、東晋末から南北朝の南朝宋にかけて活躍していた詩人です。朝廷に仕え、立身出世を諦めた後、田舎の田園に隠遁し、自ら農作業に従事しつつ、日常生活でのことを描いた詩や文章を多く残しました。それで、後に「田園詩人」の代表と言われています。 "采菊东篱下,悠然见南山"「 菊を採る東籬の下、悠然として南山を見る。」菊を摘んで、悠然たる南山の姿を見て楽しむ。これも自然に親しむ陶淵明の代表的な詩です。

 陶淵明が生きていたのは、ちょうど戦乱が繰り返された時代です。北方の土地は異民族に制圧され、南方の王朝はめまぐるしく交代しました。そんな時代なら、どんなに夢を持った文人でも、無力になりますよね。陶淵明もやむを得ず、ただの一農夫としての道を選んだのかもしれません。確かに、権力や欲望、野望などを捨てて、精神的な豊かさを守りましたが、陶淵明にとっては、生活自体はどんなに呑気なものではありませんでした。とても貧乏な日々を送っていました。田園詩人というのは、生活に何の不自由もなく、ただロマンチックに自然を詠む詩人ではありません。俗世間になじめず、、理想郷に逃れたいという隠遁思想を持つ人だと思います。

 作者陶淵明の生い立ちを理解したり、時代背景を考えるというのが、この「桃源郷」本当の意味に近づく大きなポイントの一つではないかと思います。秦の時代の難民が、桃源郷で暮らしている人々の祖先です。その後、漢、三国時代、さらに、次の晋の時代のことを全然知らなくて、俗世間から隔離されたコミュニティで平和に生活しています。戦乱を嫌う作者の考え方が表れています。これは、この物語の一つの側面かもしれません。

 その「桃」も、桃源郷のもう一つのポイントです。中国では、道教を初め、昔から、桃は不老長寿と魔よけの象徴とされてきました。「西遊記」の世界では、西王母は桃の宴を開き、仙人たちに食べさせました。普通の人間でさえ、それを食べると、不老不死の身になります。孫悟空は桃園の管理の仕事をした時に、いっぱい盗んで桃を食べちゃいました。今でも、中国ではお年寄りの誕生日祝いに、寿桃、桃饅頭を食べる習慣があるんです。桃の花を描くことで、俗世間と全く違う、仙境のような所だというイメージのアピールにもなります。

 中国の神話や民話の中には、「道に迷って仙人や妖精にあう、或いは、別世界に立ち入る」という類の話がとても多いです。神秘さが一層増しますね。その結果、普通は、やはり「再び訪れることができない」という結末になります。私は、中二の時、この文章を勉強したころ、村人に厚くもてなされ、「ここのことを内緒にしてください」と頼まれたのに、家に戻ると、役人に何で話したの?と、親切な村人を裏切った漁師の男に強く憤りを感じた覚えがあります。日本の民話や伝説にも、「隠れ里」等といった言い方があります。一般的には山奥や洞窟を抜けた先などにあると伝えられています。この点では、中国ととても似ていますね。

 人々の頭にしか存在しない理想郷、西欧流に言えば、ユートピアですが、世界共通なのかもしれません。「桃源郷」という言葉は今でもよく使われますが、その類義語と言いますと、いっぱいありますね。例えば、楽園、天国、隠れ里、別天地、別世界、仙境、仙界、理想郷、楽天地、ユートピア、シャングリラなどなど。中国では、陶淵明の詩は「桃花源記」ですから、桃花源、あるいは、仙境であるイメージを強調して、桃源仙境などと言います。  

 中国には、桃源郷と呼ばれるほどの景勝地がいっぱいあります。「こここそ陶淵明が描いた桃源郷の原型だ」という場所については、幾つかあって、お互いゆずりません。ちなみに、文章の主人公であり、桃源郷を発見した漁師の男は、武陵の人です。今の湖南省の常徳あたりです。ここは、近くにある名勝地、張家界と共に、「武陵源自然風景区」として、世界遺産に登録されました。「中国山水画のモデル」と言われるほど、とても景色のいいところです。 

 文学作品というものは、もともとフィクションの世界ですから、それが実在するかどうか、どこなのかを問い続けるのは、あまり意味がないかもしれません。人間はだれでもこの世の中のどこかに「きっと桃源郷が存在する」と、信じつつ、それを探し続ける、夢を持ち続けるということが、人生の醍醐味なのかもしれませんね。貴方の夢見る「桃源郷」は、いったいどんなところなのでしょうか。(ZHL)

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