解語の花
「解語の花」文字通り、言葉が解かる花。ここでは花は女性のたとえです。つまり、言葉を理解する美しい女性ということです。
この言葉は元来、中国の唐の時代の有名な美人、楊貴妃のたとえです。楊貴妃は日本でもよく知られているようですね。玄宗皇帝の寵愛を受け、皇帝は彼女を喜ばせるために、彼女の大好物のライチを、早馬に乗った使いに、今の広東から西安まで、運ばせていました。二人の熱愛を描く詩歌や伝説など、中国にはいっぱい残されてきました。この楊貴妃は、「安史の乱」で、兵士たち怒りを鎮めるために絞殺されたと言われるんですが、実は生き延びて、最後に日本にたどり着いたという驚きの伝説もあります。
楊貴妃に由来する「解語の花」ですが、唐の皇帝と妃たちが住む宮殿には、太液池という池があります。この池には、白い蓮の花が咲き乱れています。ある日のこと、唐の玄宗皇帝は、この池のほとりで宴会を開き、皇族の人たちと一緒に、蓮の花を観賞していました。幻想的でとても美しかった蓮の花に、人々は見とれて、この花を誉め称えました。すると、玄宗は微笑んで、そばに立っている妃を指差しながら、こう言いました。
「どうじゃ、池の蓮の美しさも、この言葉の解かる花には及ぶまい。」
この美しい妃は、名高い楊貴妃でした。蓮の花は美しいだけだけれど、 楊貴妃と言う美しい花は、自分の言葉もわかる、自分のことを解ってくれると言うことでしょうか。美しい女性というのは、よく花に例えられますが、楊貴妃は美しいだけでなく、玄宗皇帝の語ったこと、そして、言わなかったことをよく理解しているからこそ、その心をぎゅっと掴めたのでしょう。
昔の中国の皇帝は、一人の決断して物事を決めることが多く、「寡人」と自称し、ほんとうは孤独な人間でした。きれいな女性は、ほしければいくらでも手に入るでしょうけど、逆に皇帝ともなると利害関係が複雑すぎて、本来の男女関係にあるはずの信頼や心の通じ合い、思いやりなどがかえって、なかなか求められないと言われます。
楊貴妃はどれぐらい玄宗皇帝を愛していたのか分かりませんが、話術がとても優れていたというのは、確かでしょう。今風に言い換えますと、高度なコミュニケーション能力を持っていると思いますね。『空気を読める人』と言えば、ニュアンスがちょっと違うと思いますが、楊貴妃が「空気を読める人」であったということは、おそらく間違いないでしょう。
男女関係でも、普通の人と人のコミュニケーションでも、ひたすら一方的に話すのではなく、人の話に真剣に耳を傾けるというのも、大切ですからね。
「解語の花」、男性にとっては、最高に理想の女性像じゃないでしょうか。でも、逆に考えて見ると、「解語の花」になるためには、結構その男性に尽くさなければならないと思いますね。楊貴妃はその絶大な権力を握る男に対して、やむを得ずに皇帝の心を理解しようと、一生懸命だったのかもしれません。
玄宗皇帝の心をくすぐり、常に、その関心ごとに心地よい言葉を発すためには、ストレスがたまる可能性もないとはいえないと思います。そういう意味では、何でも言いたい放題の現在の一部の女性は、男性に喜ばれる「解語の花」ではなく、残念ですけれども、あまりストレスがたまらないから、いいこともあると思いますね。現代の男性の意見も聞きたいところです。
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紅一点
「紅一点」は日本語でよく使われているようですね。多くの男性の中に、たった一人の女性のいる場合、「紅一点ですね」と、言いますよね。
これは日本人が当たり前のようによく使っています。おそらく、中国語に由来するということを知らない日本人が多いのではないかと思います。
実はこの言葉は、中国の宋の時代の王安石の「ざくろの詩」から来ています。"万绿丛中一点红,动人春色不须多。" 「万緑叢中紅一点、人を動かす春色は須く多かるべからず」一面の緑の中に咲く一輪の赤いザクロの花、春の景色は、それだけで、十分人間を感動させてしまうという詩なのです。
ちなみに作者の王安石(おうあんせき)は、北宋の時代の政治家です。総理大臣に当たる宰相を務めたことがあります。新法を主唱し、政治改革を断行しました。しかし、保守派の反対により辞職をしてしまいました。こう言った政治家と同時に、文人・学者としても有名で、多くの詩や文章を残しました。
数十年後、王安石が亡くなった後、宋の徽宗の時代になりました。宋徽宗は皇帝でありながら、書画に精通し、中国史上で最も有名な芸術家皇帝です。ある日、優秀な画家を選抜するため、「万緑叢中紅一点」をテーマに、絵を描いてくれと命じました。画家たちは広々とした草原に可憐に咲いた一輪の赤い花を描いた人もいるし、茂った木々の隙間から、赤い色の壁が見える絵を描いた人もいるし、一面に広がる松の木々の、こずえにたたずむ丹頂鶴を描いた人もいました。私たちの目で見ればテーマをよく表現できたと思うでしょうが、これらの作品はいずれも落選してしまいました。それよりもすばらしいパフォーマンスをした画家が2人いましたから。。。
緑の柳の木に囲まれた中、女の子が住む楼閣がありました。その楼閣の欄干に、赤い口紅を塗ったきれいな少女がもたれています。たった一点だけの紅が、一面の緑の中により色鮮やかに見え、色のコントラストがあまりにも鮮明で、人の目を釘つけにしました。この絵を、宋徽宗は大絶賛しました。そして、もう1人、合格した画家は、果てしもない海から昇った赤い朝日を描きました。確かにどちらもユニークな構想で勝ち取ったすばらしいものですよね。
こうして、「紅一点」、そもそも、たくさんある中で、一つだけ異彩を放つものという意味でした。おそらく、赤い花という言葉から女性が連想され、男性の中に混じる唯一の女性の意味で用いられるようになったんじゃないでしょうか。
中国語では、王安石の詩そのもの"万绿丛中一点红"を、ことわざと同じように使います。意味としては、「たくさんあるものの中で、人々の注意を引く最も目立つ点」、或は「多くの男性に混じったたった一人の女性」という2つの意味、日本と同じ意味で使うこともあります。
皆さん、この「紅一点」という言葉を使うと共に、その語源となる、王安石の詩「万緑叢中紅一点、人を動かす春色は須く多かるべからず」も思い出してみてください。
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胡蝶の夢
「胡蝶の夢」は荘子の思想を表す代表的な説話です。
いつのことなのか、私は夢の中で蝶になりました。ひらひらと翅に任せて空の中を舞う蝶そのもの。楽しくて楽しくて、気持ちが開放されて、私は荘周と言う人間であることも忘れて、その楽しみにふけっていました。
やがて、ふと目が覚めました。私はやっぱり現実の私でした。いったい、この私が夢の中であの蝶になったのでしょうか、それとも、あのひらひらと楽しげに舞い続けていた蝶が、夢の中で荘周という人間になっているのでしょうか。私が蝶なのか、蝶が私なのか。夢が現実なのか、現実が夢なのか。。。
荘周と蝶とは、確かに、形の上では区別はあります。でも、主体としての自分には変わりは無い。これが物の変化というものです。
この説話に出た人物、荘周は思想家荘子の本名です。荘子は後世の人々による敬称です。荘子は、中国の戦国時代、今から2400年ぐらい前に生まれた思想家で、道教の始祖の一人とされる人物です。その「無為自然」という哲学思想は、後世に大きな影響を及ぼしました。
胡蝶の夢、とてもロマンチックな説話ですね。その中に潜んでいる哲学は、色々解釈できると思います。すべてが虚無、人生が夢の如く、はかないという意味もありますし、モノの変化とは、表面で現われたところでの変化に過ぎません。蝶と荘周は形の上では、確かに大きな違いがあります。結局己であることに変わりありません。夢と現実、真実と虚(うつろ)の対立を論ずるよりは、その場で生きている世界が本当の世界だとして、素直に受け入れ、それを楽しむべきだと意味だということです。
夢を見れば、蝶としてひらひらと舞い、目が覚めると、人間として生き、与えられた姿で今を楽しむ。それはまさに自由に生きているという意味なのでしょうね。
中国では、この「胡蝶の夢」は、「荘周夢蝶」という四字成語の形で表現します。哲学以外、この説話は昔から、文人や詩人たちにも好まれ、色々な意味を与えられてきました。例えば、人生がはかない夢のようだという意味のほか、ホームシックとか、悠々自適とした生活に対する憧れなどです。
あなたにとって、夢の中で舞う蝶々は何ですか?
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