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第11弾:学問に関する孔子の教え

2011-11-15 15:03:48     cri    


























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 孔子は今から2500年ぐらい前の中国の春秋時代の思想家、教育家です。中国だけでなく、世界的にみても最も大きな影響力を持つ人物の一人ですね。「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」有朋自遠方来、不亦楽乎。日本でもよく使われているようですね。友達が遠くから自分に会いにやってきてくれる、それは実に楽しいことだ。友達を迎える自分の喜びを素直に伝えることによって、相手もきっと喜んでくれるでしょう。

 この言葉の出典は「論語」です。「論語」は厳密に言えば、孔子の著書ではありません。孔子の没後、50から100年の間に、弟子たちが孔子と問答をして教えられた言葉や、孔子がいろいろな国をまわった時にその国の君主と行った対話、さらには、弟子が孔子に対して自分の意見を述べた言葉などを集めて全十巻二十編に編纂されたものが「論語」なのです。したがって、「論語」は孔子を中心とする「言行録」です。「論語」という本を開けると、学而第一に登場する最初の教えは、これです。"子曰、学而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎。"

 子(し)曰(いわく)、學びて時にこれを習う、亦(ま)た説(よろこ)ばしからずや、朋(とも)あり、遠方より來たる、亦(ま)た樂しからずや、人知らずして慍(いきどおら)ず、亦(ま)た君子(くんし)ならずや。

 先生が言われた、『学んでは適当な時期におさらいする、いかにも心嬉しいことだね。{そのたびに理解が深まって向上しているのだから}だれか友だちが遠い所からも訪ねてくれる。いかにも楽しいことだね。{同じ道について語りあえるから}人が自分を理解をしてくれなくても腹を立てたりはしない。これこそ、いかにも君子ではないか。』論語のこの最初の章はとても有名です。論語を勉強するためには、まずここからですもんね。学問に関するモットーを述べていると思います。この3句を初めとする論語の「学而」という章は、学問や学びに関する基本的な考え方や姿勢を説く編です。

 若い人の生き方の道しるべに、「論語」がとても良い本です。昔、中国では、インテリにとって、「論語」は必ず習得するという入門書みたいなものでした。中でもよく引用されるのは、こんな文もあります。"子曰、吾十有五而志于學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩。"子、曰わく、吾れ十有(ゆう)五にして學に志(こころざ)す。三十にして立つ。四十にして惑(まど)わず。五十にして天命を知る。六十にして耳(みみ)順(した)がう。七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず。先生がいわれた、『私は、十五歳で学問を志し、三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと迷わず、五十になって天命をわきまえ、六十になって人の言葉を素直に聞けるようになり、七十になると思うままにふるまってそれでいて道をはずれないようになった。』

 これから学問を追及する孔子の知識人としての人生をうかがえますね。孔子が弟子に向かって、自分はこうだったと、70歳を超えて、人生を振り返って言った話でしょう。これから、「三十而立」(三十にして立つ)、「四十不惑」(四十にして惑わず)など、四字熟語が生まれ、今でもよく使われています。

 さて、現代人の人生に当てはめますと、「吾れ十有(ゆう)五にして學に志(こころざ)す」というのは、大学を出て、社会人になる若者たちに当てはまりますね。15と言う数字、年齢に拘らず、それぞれの専門分野、これからの人生の目標を決めた人たちでしょう。そして、次に目指すのは、三十歳で「立つ」ことですね。これは、自分というものを確立することであり、必ずしも出世することではありません。誰にも負けない自信と自負を持つということを指します。まあ、現在の中国の若者にとって、「三十にして立つ」ということについてのアンケート調査によりますと、安定した仕事(55.3%)が立つための最も重要な指標とされており、「マイホームを持つ」(52.3%)、「幸せな結婚生活」(43.8%)などが挙げられています。

 ここまでは良く分かりますが、難しいのは、「四十にして惑わず」ということですね。日本ではアラフォーとか、アラフォー世代とも言われますが、結婚・出産・仕事を決める人生の岐路にある世代を言います。実は女性だけでなく、男性でも、40歳前後になると、深刻な惑いが生ずると思います。人生を振り返り、これでよかったのだろうかと迷います。仕事だけでなく、家庭、ひいては自分の生き方などにも困惑してしまう人も多いと思います。このような年齢層で転職する人も多いし、これまでの生き方を覆し、思い切って、真新しい人生を切り開く人もいます。でも、孔子が話した「惑わず」というのは、おそらく、この困惑の時期を乗り越えた自分を言っているのかもしれないと思います。孔子はもともと私たち普通の人よりずっとスマートな人ですから、少し惑った時期もあるかもしれませんが、40歳になると、すでにそれを乗り越えたと理解すればいいでしょうね。今、孔子の時代と比べて、平均寿命がだいぶ延びていますから、私たち凡人は少し遅れても、五十にして惑わずになれればいいと思います。

 また、「五十にして天命を知る」。「天命」とは、物事の在るべき道理。人間の力を超えた運命としての意味ですね。50歳になってはじめて自分の人生についての天命・運命が何であったかがわかります。三十歳で、自分が何をやるべきかということが分かるようになって、四十歳で、やってはいけないことを知り、さらに、五十歳になると、自分の運命が何なのか分かるってことですね。そうすると、60歳になると、人の話を聞くと、その人の本当の心理を見抜けるようになり、70歳になれば、自分の心に従って行動することができ、しかも、それが道に合う正しいやり方だという境地になるのです。(文:ZHL)

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