先日、自分の小学校のころの夢を見ました。当時は毎年のように夏休みになると丹波の田舎に遊びに行ったものです。当時はわたしより10ぐらい年上の叔父が、一緒によく田舎に行き、寝る前に暑い暑いといいながらわたしたち数人の甥にお化けの話をよくしてくれたものです。もちろん、1950年代末期で都市部でもテレビは少なく、そこは田舎ですから、もちろんのこと。夕食の後はやることはありませんからね。これは日本でのこと。で、わたしが見たこ夢の中でもそうでした。やっぱり夢なのか、叔父がお化けの話をしていると、話の中のお化けが、叔父の後ろから出てきたんですよ。びっくりしましたねえ。そのうちに、これは夢だとわかり、あとはおかしくなってごちゃごちゃしたものになりましたが・・。この林涛、幼いときから恐れながらもお化けの話をよく聞いたせいか、今でも関連の話には注目します。日本の幽霊の多くは足がないものが多いようですね。中国のは少し違うようです。
この時間は、清の時代の怪異小説集「子不語」、これは「子は語らず」という意味でしょうか。この「「子不語」」から三つの小話をご紹介します。
はじめは、「息吹く髑髏」です。
「息吹く髑髏」
時は清の雍正年間。杭州に閔(びん)茂嘉という人がいて碁を打つのが三度の飯よりも好きだという。閔さんは孫という苗字の先生がおり、いつも尋ねてきては碁石を打っておった。その年の五月はとても暑く、閔さんは家の庭に大きな風通しのよい東屋を作り、その下に五人の友人を呼び、冷えたお茶などを飲みながら碁を楽しん でいた。
と、孫先生が一局終わったところで、急にあくびした。
「うん。なんか急に眠くなってきたぞ。うん。わしは東の離れで一眠りしてくる。それからまた一勝負じゃ!それまで待っていてくれや」
孫先生はこういうとここは自分の家だといわんばかりに一人で離れに行った。
しばらくして東の離れの部屋から悲鳴が聞こえた。
「なんだ?なんだ?あれは孫先生の声だぞ!いってみよう」
ということになり、閔さんと友人は急いで離れの部屋に向かった。すると、部屋では孫先生が仰向けに倒れ、口からよだれ流している。そこで閔さんが生姜汁を飲ませると、孫先生は気が付いた。
「先生!いったいどうしたんです?なにがあったんですか?!」
「うわ!おったまげたよ!」
「なにに?」
「実はこの床の上に横になったんだが、しばらくして背中が寒くなりだしてな。そのうちに床全体が冷たく感じるようになった。そして体中が冷えだしたので、いつの間にか震えだし、なんだこれは!いったどうしたんだ?と思っていると床の下で何か音がした。そこで床の下を覗いてみると、なんと驚いたことに、目玉がある髑髏が床の下から歯だらけの口をあけてフーフーとわしに息を吹きかけておるのじゃ」
「ええ!?目玉のある髑髏」
「そうじゃ。目玉だけがぎょろぎょろ光って恐ろしかった。そしてわしは気を失ったのじゃ」
「それは怖いだろうな」
「そこにお前さんたちがわしの悲鳴を聞いてこちらに来る音がしたんじゃろう。髑髏の姿が見えんということは、奴はどこかに隠れたな」
「ええ!髑髏がどこかに隠れているって?!」
「そうかもな!」
これを聞いた閔さんの友人たちは、恐ろしくもあり、好奇心をも覚えたのでいう。
「閔さん、閔さんや。その髑髏とやら、あんたこれまで見たことはあるのかね?」
「いや、今日、孫先生から初めて聞いた」
「それじゃ、今日はここにいる人も多いので、その髑髏とはどんなものか確かめようじゃないか」
実はこの騒ぎに閔さんの家族や下男たちも来ていて、この友人の話を聞いた閔さんの母が驚いた!
「な、なにをいうの!そんなことしたら罰があたり、わたしたちはいつ死ぬか知りませんよ。ああ、おそろしい、おそろしい」
これには閔さんも気味が悪くなった。それに親孝行な閔さんのこと、母の言うとおりにし、どこかに隠れている髑髏を探し出すどころか、翌日、人を呼んで、かの離れの部屋を取り壊し、そこに土をつんで築山としてしまった。
で、目玉のある髑髏をみたという孫先生だが、このときから体が震えて止まらず、夜には熱を出し、医師の懸命の手当ての甲斐もなく、明け方にとうとう息を引き取った。また、髑髏を捜そうと言い出した閔さんの友人は、それから三日後に、郊外で腹をえぐられて死んでいたという。
それからというもの誰も離れを壊したあと作ったにその築山には近づかなかったそうな。
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