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雲南茶馬古道の宿駅、那柯里を尋ねて

2009-07-06 16:19:48     cri    

 中国国際放送局の記者10人、雲南省の昆明人民放送局の記者2人、そして「雲南プーアル茶」という雑誌の編集者3人の合計15人の記者団は、先月15日から22日まで、プーアル茶の源を訪ねました。雲南省最南端のシーサンパンナイ族自治州とプーアル市で、茶樹を栽培する農家を尋ねたり、古代のお茶作りの伝統を守る店や近代的なお茶生産工場を見学したりしました。また、雲南省の茶馬古道(ちゃばこどう)の痕跡の一部を視察しました。

 シーサンパンナでの取材を終えた取材団は、20日、プーアル市に到着しました。雲南省最大の都市、プーアル市は中国の西南部にあり、面積はおよそ4.5 万平方キロメートル、2008年現在、人口は258万人です。漢民族のほか、ハニ族、ラフ族、イ族、ワ族など14の民族が暮らし、少数民族は総人口の60%を占めています。プーアル市は世界でも茶樹資源が最も豊富な地域で、古代の茶樹の化石から、樹齢1000~2000年の古代茶樹、そして現代の茶畑を見ることができます。

江城県牛洛河の茶畑

シーサンパンナの樹齢千年の茶樹

 ニーンアール県は、プーアル市の最も古い町です、1729年、清王朝はここにプーアル府を開き、シーサンパンナやプーアル府周辺で作られたプーアル茶がここに運ばれ、集中的に管理されました。税金を納めた後、一部のプーアル茶は昆明、四川省を経由する茶馬古道で北京に運ばれ、一部のお茶は、茶馬古道でチベットなどに運ばれました。このように、唐の時代から中華民国時代まで、ニーンアール県はプーアル茶の管理と売買の中心地域となっていました。

ニーンアール県の街角の様子

茶馬古道の記念碑

 この茶馬古道とは、古代の道であり、雲南省で採れた茶をチベットの馬と交換したことから名付けられた交易路です。後には、主な交易品は雲南地域では塩、茶、銀製品、食料品、日用品、チベット地域は毛織物、薬草、毛皮などとなりました。茶馬古道の要衝といわれる有名な都市には、シーサンパンナ、思茅(今のプーアル市)大理、麗江、迪慶、徳欽、ラサなどがあります。唐の時代にはすでに交易が始まり、20世紀中ごろが流通の絶頂期と言われています。雲南省南部から北京、チベット 、ミャンマー 、ネパール 、インド などへ抜ける5つのルートがあるという説が主流です。

 ニーンアール県はかつてプーアル府で、プーアルという言葉はハニ族語で、水辺の村という意味です。このお茶の町の中心に、2005年、お茶をテーマとする茶源広場が作られました。広場の南に、茶馬古道の起点の記念碑が建っています。茶馬古道の5つのルートが記念碑に刻まれています。この広場のシンボルは、西出入口に置かれた彫刻です。ニーンアール県観光局の李キョウさんは、この彫刻を紹介してくれました。

 「この彫刻は丸い柱の形をしており、円満と団結を意味しています。その上部には葉っぱが茂る茶樹があり、各民族の人が茶葉を採取しています。彫刻の側面には、人々が茶葉を採取し、プーアル茶を作り、お茶を飲み、そしてお茶を運ぶというレリーフがあります。下の方には東西南北に向かう4頭の馬の頭が突き出しています。これは、馬がお茶を積んでここから出発するという意味です」

茶源広場

ニーンアール県のシンボル

 この茶馬古道、今は、ニーンアール県には、茶庵塘茶馬古道、那柯里茶馬古道と孔雀屏茶馬古道の跡が3箇所だけ残っています。那柯里は、ニーンアール県南部にあり、プーアル市から25キロぐらい離れています。ちなみに、那柯里茶馬古道は、今は10キロしか残っていません。この道は、昆明とタイのバンコクを結ぶ昆タイ道路と平行しています。私たちは、お昼ぐらいに、那柯里茶馬古道にある宿駅、那柯里を訪れました。

那柯里宿駅の跡地

那柯里の様子

那柯里の様子

 那柯里はタイ族の言葉で、橋の隣のよい土地という意味です。那柯里は、今、一つの村で、農家66世帯があります。ここは、昔の茶馬古道の宿駅で、今は観光用に昔の様子を復元しています。木造の建物に、昔のプーアル茶を入れる容器とか、馬の頭にかける鈴とかが展示されています。この建物の隣の小道を通って、裏にある宿駅に入りました。 

 ここの庭園は、日本風の庭によく似ています。小河が流れ、橋があり、緑いっぱいです。建物は木や竹で作られて、とてもいい環境です。この宿駅は、山のふもとにあります。山には茶畑があり、気持ちがいいです。現在、ここは観光スポットとなり、食事どころもあります。

風雨橋

風雨橋

 この宿駅には、昔、馬やラバを使ってお茶を運ぶキャラバンが泊まった建物の一部がまだ残っています。それが「栄発馬店」です。この店は300年の歴史があり、過去には、4人のオーナーが家族経営していたことがあるそうです。

栄発馬店

那柯里の風景

 今のオーナー、李天林さんのお爺さんが、1935年この店を買いました。代々受け継ぎ、この店を経営しています。この店の民国時代の様子について、李天林さんは次のように振り返っていました。

 「この店は、馬100頭ぐらい入れますが、大抵70頭か80頭ぐらいが泊まります。お茶を運ぶキャラバンが来たら、まず馬に餌と水をやります。そして、商人たちにご飯を提供します。翌日、鶏が鳴くと、すぐ起きて朝ごはんを用意します。見送りしたら、また次のキャラバンを迎える準備をします。祖父が民国時代から経営を始め1954年まで続けました。1954年、政府がこの周辺に道路を作ってから、トラックが増え、キャラバンが徐々に衰えていきました」

那柯里の風景

那柯里の風景

 今、李天林さんは、奥さん、2人の息子と息子の嫁さんとこの店を経営しています。この店は、かつての旅館の部分をなくし、レストランとして、昔、キャラバンたちが食べた料理を出しています。ここにやってくる観光客の様子について、李天林さんは、次のように語りました。

 「年末年始や国際婦人デー、メーデーには、お客さんがここを訪れます。平均して、一日170、180人ぐらいやってきます。去年オープンしたばかりなんですが、お客さんの中で徐々に人気が出ました。年間の純収入は1万元ぐらいですね」

 実は、日本のお客さんも時々、那柯里宿駅にやってきます。李天林さんは、これまで日本人のお客さん20人ほどを接客したことがあります。李さんは、大切に保管している写真や名刺、手紙を見せてくれました。その中に、明治大学のある準教授の名刺、や李天林さんとの記念写真がありました。また、香港在住の日本人夫婦は2001年末、ここを訪れて、感謝の手紙を送ってきました。李さんは、これらを大事に保管してます。

お客さんからの手紙を紹介してくれる李天林さん(右)

お客さんからの手紙と記念写真

 李天林さんの話しによりますと、日本人の観光客のほか、韓国、アメリカ、スペインからのお客さんもいます。数年前、あるアメリカの女性が、百年前の写真を持って訪ねてきたそうです。その女性の祖先は百年前、この店に泊まったことがあったため、彼女は祖先の足跡をたどってここに来ました。

 このように、ここは中国西南部の茶馬古道の小さい宿駅なんですが、世界各国の人といろいろなつながりがあります。20世紀の前半までの茶馬古道の影響力が伺えます。

昔、馬でお茶を運ぶ際に、使っていた麻袋

キャラバンの馬にかけていた鈴

 実は、2007年6月3日、ニーンアール県でマグニチュード6.4の地震が発生しました。那柯里宿駅でも農家が倒壊しました。県観光局は、復興活動を行うと同時に、茶馬古道の文化や魅力による地域振興計画を出しました。李天林さん一家もこのチャンスを利用して、地元政府の支援で那柯里宿駅を復活させ、「栄発馬店」というレストランをオープンしました。現在、収入はまだ少ないですが、今後、茶馬古道を訪れるお客さんが増え、収入もきっと増えるだろうと、60歳の李さんはにこにこしながら、明るい将来への希望を語ってくれました。(文・写真:任春生)

 プーアル茶に関して何かご質問があれば、中国国際放送局日本語部「中国の旅」にリクエストを送ってください。

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