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ちまきの由来

2009-06-10 16:31:59     cri    

 「魚祭り」

 毎年の旧暦の三月九日は、貴州の竜里、貴定、福泉などに住むミャオ族の人々の「魚祭り」だ。この日、人々は川岸に集まり、獲った魚を篝火に乗せた鍋で煮る。そして酒を飲みながらこの年の豊作と家族の幸せを祈るのだ。

 ところで、この「魚祭り」はいつごろから始められたのだろうか?こんないわれがあった。

 むかし、むかし、天の王さまには一人のきれいな姫がいて。それはとても賢かった。が、どうしたことか、ある日、姫は急な病にかかったので、天の王さまは兵を遣り、崑崙から霊芝を、長白山からは人参を、海からは大きな真珠を採ってこさせ、これで薬を作らせて姫に飲ましたが効き目がない。焦った天の王さま飯も喉を通らないぐらいだった。そのとき、ある神が下界の川に泳ぐ魚はいろいろな病をも治せるというので、早速天兵を下界に遣り、百種の魚を捕らせ、それを煮込んで出来た汁を姫に飲ませたところ、姫の病はしばらくして治った。そこで天の王さまは姫の命の恩人である魚に感謝するため、そのときから川、湖と海に棲む魚を獲ってはいけないと言う命を下し、その上、雨をすべて川、湖と海に降らせ、人間には一滴も与えなくなったわい。

 これにミャオ族の人々は困った。そこで豚や牛を殺して供え物とし、雨を降らしてくれと天に求めたが、天の王さまは知らん顔でいる。こうして豚や牛は殺し終わったので、人々は川や湖から鯉、鮭、ふなやサンショウウオなどを多く獲り、それを豚や牛に換えて供え物とした。

 こちら天の王さま、大事な姫の命の恩人である魚たちが供え物となったを知り、大いに悲しみ、なんと涙を流して泣き出した。それも三日三晩泣き続けたので、空は荒れ、黒雲が立ち込め、雷までが鳴って大雨となり、乾いていた大地は潤されたわい。

 そして次の年から、ここら一帯のミャオ族の人々は日照りが続くと、決まって川や湖から多くの魚を獲り、それを供え物として天に雨を乞い、それが慣わしとなり、のちの「魚祭り」になったという。

 ところで、みなさんは中国の福建料理である「仏跳墻」(フォーティアオチャン)をご存知ですか?この料理は日本では「吹っ飛びスープ」とも呼ばれているそうですね。で、書物によりますと、この料理は清の道光年間に、鶏、アヒル、豚の胃など。それに鱶のひれ、なまこ、あわび、ハトの卵、しいたけと貝類など多くの材料を使って出来たとか。

 で、この料理の由来についてはいくつかあります。

 一つは次のようなものです。

 ある日、料亭のオヤジが出かけて用を済まし、ぶらぶら歩いていると街角からすごくいい匂いがしてきた。

 「うん?なんだ?うまそうな匂いだな」とオヤジが匂いのするところへ行っててみると、なんとそこには二人の物乞いが、もらってきた沢山の食べ物と酒を一つの鍋に入れて煮込んでいた。これにオヤジは考え込み、しばらくして何かに気付いたのが、いそいそと料亭に帰っていった。そして厨房にあるいろいろなものを一つの鍋に丁寧に入れて煮込みだし、さらに酒を加え、これを何度も繰り返し、とうとうおいしい料理を編み出した。これがあとで「仏跳墻」と呼ばれたそうな。

 もう一つは次ぎのようなものです。

 福建には以前、「台所試し」とか何とかいうのがあって、それは新婦は式を挙げた日と次の日は夫の家で泊まり、その翌日は実家に帰り、そしてその次の日は早くも嫁いだ家の台所に入るというもの。これはこの嫁が夫の家を将来やりくりしていけるかどうか見極めるためだということ。また、その日に来た夫の家の親戚などにこの新婦の料理を食べてもらうというのです。

 そんなことは別として・・これは三つ目の由来です。

 むかし、金持ちの家に生まれ、家事が出来なかった娘がある家に嫁ぐことになった。もちろん、地元では「台所試し」という慣わしがあるので、この娘は前から悩んでいた。

 「わー!お母さま、私には出来ないわ。どうしよう」と娘。そこで母親が家にある山の幸、海の幸を出してきて、一つ一つ蓮の葉に包み、それぞれの使い方を何度も何度も娘に教え、いちいち紙にまで書いて渡した。しかし、嫁となった娘は四日目、つまり「台所試し」があるその朝になって、実家から持ってきた海の幸と山の幸の使い方を記した紙をなくしてしまった。さあ大変。その日の昼過ぎに嫁は台所に入ったが、頭の中は空っぽ。仕方なく持ってきた蓮の葉で包んだものを開けて、涙を流していると、なんと姑が台所に様子を見に来ると下男が知らせに来た。

 「わー!どうしよう!どうしよう!」と嫁はあわてていたが、台所に隅に酒甕があるのを見つけたので、何を思ったのか中にいくらか酒が入っているのもかまわず、開けた包みの中身をすべて甕の中に放り込み、口を蓮の葉で縛り、甕を消えそうになった火にかけた。幸い、姑は来なかったがこの嫁は、甕の中の物が出来上がるのが怖くなり、なんと夫に黙ってその日の夜はこっそり実家に帰ってしまったわい。

 さて、翌日、親戚などが来たので、姑が台所に来ると嫁の姿がない。

 「あら!こんな大事なときにどこに隠れたのかしら」と顔をしかめていると、酒甕が火の上にのっており、中からいい匂いがする。

 「これが嫁の作った料理かしら」と蓋を開けると、なんともいえないうまい香りが台所に瞬く間に広がった。そこで屋敷の者に、親戚が待っている宴に運ばせたところ、この料理はこの上なくうまかった。後にこの料理が「仏跳墻」と呼ばれたそうな。

 さて、この料理は、初めが「甕焼き八宝」と名づけられ、そのあとに「福寿全」に変わり、最後に「仏跳墻」と呼ばれるようになったということですが、

 これまでの由来以外にまだありました。それは、これが「聚春園」という地元の有名な料亭の十八番になった後、多くの文人などがこの料亭に来て、料理を口にし、そのうまさに感激して詩を作ったそうです。それは甕の中の香りは四方に届き、これを嗅いだお坊さんも禅を止め、塀を乗り越えこれを食べに来るという意味のものです。ですから後の人はこの詩を基に、この料理を「仏跳墻」とよんだとか。

 さらに、この料理を出す料亭の近くにお寺があり、そのお寺の一人のお坊さんが、漂ってきたこの匂いを嗅いで、たまらなくなり、破門されるのを覚悟してなんとお寺の塀を乗り越え、料亭に来たといわれます。失礼なはなしですね。

 何はともあれ、この「仏跳墻」は栄養たっぷりで、食べたら元気が出そうですね。もちろん、酒の肴にはもってこいでしょう。しかし、実を言うと、この林涛、まだ食べたことはありません。そのうちに食べますよ。

 そろそろ時間です。来週またお会いいたしましょう。


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