食いしん坊日記
先日、朝の散歩の途中、朝市があったのでのぞいてみますと、なんと大粒のアゲマキガイがありました。こんな大きいのには久しぶりにお目にかかったので、早速買い求め、ついでに茄子をも買い、ぶらぶら歩きで家に戻りました。そしてアゲマキガイは、水に漬けておき、ナスは適当に切って軽く塩付けにしておきました。さて午後になり、水に漬けておいたアゲマキガイをきれいに洗って、鍋に水を入れて沸騰してからアゲマキガイを入れ、殻が開いてもう出来たと思ったころに鍋から出し、殻を取ってから水で砂を落とし、その水を十分切ってから器に盛りました。
で、茄子の浅漬けが出来たので、きれいに洗ってから水気を切り、また器に入れます。アゲマキガイには酢醤油、茄子の浅漬けは芥子味噌をそれぞれ添え、ゆっくり酒を飲み始めたわけです。
うまかった!今度は牡蠣が食べたいな!なんて。
さてこの時間は、食べ物にまつわるお話をいくつかご紹介しましょう。最初は少数民族ブイ族に伝わる粽のお話「ちまきの由来」、それからミャオ族に伝わる「魚祭り」、最後に福建料理のお話です。
最初はブイ族のお話「ちまきの由来」です。
「ちまきの由来」
貴州を流れる白水河の上流に扁担という部落があり、ここは山に囲まれ峠も少なく、外から攻め入るのはかなり難しいことから、とても守り安いところだった。住んでいるのはブイ族の人々で、攻めてくる敵をみんなして追い払っていた。
明朝の終わりごろ、当時の役人たちのひどい仕置きに歯向かうため、ブイ族の人々はふるさとを滅ぼしに来た明の兵隊を部落に入れないよう努めた。男たちは日夜、峠で敵と戦っていたので、畑仕事などは女たちがやっていた。
で、時は6月、この年は日照りが続き、白水河の水は減り、田畑の作物は枯れ始め、溝の水も多くが乾いてしまっていた。
この日は6日、阿戎の妻妹竹は朝早くおきて、飯も食べずに赤子を背中に縛りつけ、二つの桶を天秤棒で担ぎ家を出た。
妹竹と同じように他の家の妻たち、それに娘たちも早く起きて鋤や桶を担いでは段々畑のある山肌に上り、雑草を刈り、作物に水をやっていた。やがてお日様が頭の上に昇ったので、妹竹は南山で見張りに着いている夫の阿戎の昼飯を作るため、いそいそと家に向かった。
「あの人、もうとっくにお腹すかしてるわ。昨日、食べ物を大目に送ればよかった。でも、こんな熱い日だから、送ったものはその日に食べないと翌日には傷んでしまうわ。どうしようか」
妹竹はこう思い、歩きながら道端の竹の木から大きめの笹をもぎ取り、家に着く水を飲んだ後、少し考えてから干した肉を刻んで蒸したもち米に混ぜ、それに多くの味をつけて、取って来た笹でもち米を幾つも包み、急いで南山にいる夫の阿戎に届けた。
「あんた。お腹すいたでしょう。遅れてごめんね。でも畑仕事が忙しいので、明日は来られないわ。これは私が考えて作ったのよ。笹で包んであるから、いくらかもつわ」
妹竹はこういうといそいそと南山を離れ、田畑に戻って野良仕事を続けた。もちろん、腹ペコだった夫の阿戎はさっそく、初めて食べるこの食べ物にかぶりついたところ、とてもおいしいので喜んだ。そして残りを次の日に食べたが、冷たくなっただけで米は傷んでおらず、おいしさは変わらなかった。
その翌日、妻の妹竹はこの笹で包んだものを沢山持ってきたので、阿戎はほかの者にも食べさしたところ、これはうまいと大受けだった。
これが伝わり、家々の妻や娘などはさっそくこの食べ物の作り方を妹竹に教わり、その後、六月六日になると、戦があろうと、穏やかな日であろうとこれが作られみんなが食べたわい。そしていつの間にかこの笹で包んだ食べ者は「粽子」(ツォンズ)、つまりちまきとと呼ばれたそうな。
次は同じく少数民族ミャオ族に伝わる「魚祭り」というお話です。
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