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竹彫刻の名人・喬錦洪さん

2010-12-29 11:26:05     cri    
























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 中国の東南部に位置する無錫は中国の呉の時代の都で、3000年の歴史を持つ古い町で、昔から美しく、豊かな都市で知られ、『江南の名城』と言われています。

  毎年、寒い冬になると、竹林に覆われた山の中にいつも喬錦洪というお年寄りの姿が見られます。寒風の中で、喬錦洪さんは気に入った竹を見つけると、嬉しくてなりません。喬さんは「一本一本まっすぐに伸びた竹はまるで元気一杯の若者みたいだ。特に美しい竹を見つけた時は、惚れ惚れとしてしまう」と話しています。

 喬錦洪さんは代々竹の彫刻を家業とする家に生まれました。祖父は江南地方の大家彫刻の名人と言われた張瑞芝さんです。母親の張契之さんは父親の張瑞芝さんから竹彫刻の技術を学び取りました。

 竹彫刻を家業とする家に育った喬錦洪さんは初めの内は、竹彫刻の職人になりたくはありませんでした。大学を出て、作家になりたいという夢を持っていました。しかし、60年代に中国で文化大革命が始まり、大学の学生募集も突然、中止されました。これは、喬錦洪さんにとって大きなショックでした。

 当時、喬錦洪さんの母・張契之さんは竹の彫刻をやめて無錫市恵山泥人形工場で普通の労働者になりました。19歳の喬錦洪さんも夢をあきらめざるを得ず、江蘇省北部の建湖地区で農民として働き始めました。このとき、母は竹彫刻の技術を学ぶように彼に勧めました。喬錦洪さんは母に付いて竹彫刻を学び始め、その彫刻の腕も徐々に上がっていきました。

 しかし、喬さんの母は厳しい労働などによって体を壊し、亡くなりました。そこで、喬錦洪さんは母親の竹彫刻の技術を継承していこうと決意しました。

 70年代になって、喬さんは同じ竹彫刻職人の張英媛さんと結婚しました。妻の張さんも優れた技術を持っていました。

 1978年に開かれた全国工芸品美術展示会に喬錦洪さんは作品を出品しました。無錫市からの出品の要請に答えたのです。喬さんは「この展示会は私の生涯にとって転換点となりました」と語りました。

 喬錦洪さんは卓越した技巧で扇子の竹の骨の上に美しい梅の花を彫刻しました。この作品は、喬さんがその母の張契之さんの作品を再現したものだと評価されました。

 その後、喬錦洪さんは妻の張英媛さんと共に無錫市工芸技術研究所に入り、夫婦2人で竹彫刻の技を磨き、彫刻芸術の最高峰を目指して努力を続けました。

 しかし、2001年、喬さんは最愛の妻を癌で失いました。今、喬錦洪さんは希望を捨てず、竹彫刻に打ち込んでいます。彼は「無錫の大地から生まれた竹彫刻の芸術を代々伝えていきたい」と語っています。

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