日本関東憲兵隊の「郵政検閲月報」に書いた日本軍が1938年に男性を銃殺し、
子供を火の中に投げた手紙の内容。
1945年8月中旬、偽満州国の首都である新京(現在の吉林省長春)にある中国侵略日本軍の関東憲兵司令部では、数日連続で日本軍に関する数多くの公文書が燃やされました。
日本の天皇が投降を発表した後、関東憲兵隊は日本軍が中国を撤退する前、司令部にある中国侵略14年の間に書き残した資料の処分を急ぎました。ソ連軍が長春に近づいたことで、憲兵隊は慌しく処分できない数多い公文書を地下に埋めました。
1950年代初め、吉林省は建築工事を行った際、地下に埋められた日本軍の関係公文書を見つけ、そして1982年にこれらの公文書を吉林省公文書館に渡しました。
侵略の歴史を否定したり、教科書を改ざんしたり、靖国神社を参拝したりして、ここ数年日本の右翼勢力は次々と揉め事を起こし、その侵略の歴史を美化しようとしています。これは中国国民の強い不満を招き、吉林省公文書館のスタッフを憤らせました。
吉林省公文書館の尹懐館長は「日本軍が中国を侵略した証拠を公開し、日本軍が犯した罪を暴露することは、歴史を歪曲しようとする日本の右翼勢力への有力な反撃である。またこれは公文書を整理し、保管する人々の歴史的責任でもある」と述べました。 暮らし・経済へ
| ||||
© China Radio International.CRI. All Rights Reserved. 16A Shijingshan Road, Beijing, China. 100040 |